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《シティーボーイのエルモクン》より… 忘れられない6月24日



       第8弾 《忘れられない 6月24日》 h18・7・14
1999年6月24日。H先生の手によって盲導犬としての観察が、ユーパスノ首に誇
らしく輝いた日です。
厳しくも楽しかった4週間の共同訓練を終え湯沢に帰ってきた日でもある。
ユーザーとしても1年生 盲導犬としても1年生。ひとりと一頭は初心者同士。
同じところを何回も何回も繰り返し反復訓練あるのみ。
自分の足で好きなところへ自由に歩きたいという目的があったので、毎日が夢中で過
ぎていったのは、今と成ってはなつかしい思い出でとなっている。
そして 数年後、一人で暮らしていたらこんなことは絶対ありえなかったろう、とい
う貴重な体験を数 限りなく経験することができた。
その様子は連載コラム「ユーパスクンは今日も行く」というタイトルで小冊子として
記録に残っている。
 そして、短すぎた私との幸せな生活に終止符を打って、ユーパスがお骨と成ってふ
るさとの札幌に帰ったのがくしくも6年後の2005年6月24日のことだった。
その日は、2頭めの盲導犬との共同訓練の開始の日となっていたため、娘に付き添っ
てもらい、盲導犬協会の門をくぐったのだった。
ユーパスとの最初の出会いの日そして、6年後計らずしてユーパスを納骨した日。
なんと、思いもよらない2頭めの盲導犬「エルモ号」は、その日の午後に井ノ内先生
の手から私の手へとリードが渡されたのだった。
その時の先生のお話の中に「エルモのお母さんは ナビ です」とのこと。
私は思わずその言葉にビックリしたのです。そうです その「ナビ」ばまぎれもない
ユーパスノお母さんだったのです。
エルモは母さんが一緒、「ナビ」から生まれたユーパスのじつの弟でした。
重なるこの偶然に私が気づいたのは、別れと出会いのハザマで苦悩していたまさにそ
の時でした。
これはただの偶然?! 直後  イヤッ これはユーパスが引き合わせてくれたのか
もしれない! と思ったその瞬間、なんだかつかえていた胸がスーッと楽になり、急
にエルモがいとおしく感じられたのでした。
ユーパスも、2頭めの盲導犬エルモとの、新しい生活を再スタートすることを祈って
いてくれたのかもしれない。と素直にそう思えるようになりました。
 ユーパスとの出会いの時から、TBSテレビからの取材を受け、その様子は、6年
前動物奇想天外で全国放映されたという経緯があり、再度テレビ局からの取材願いの
連絡があった。
ユーパスとの6年間の生活と最愛のパートナーを突然失ってしまった心境を取らせて
欲しいとのことだった。
ユーパスの盲導犬として生きた証が、社会に理解してもらえるのなら…、私とのたの
しかった生活が記録として残るのなら…、という思いで取材をお受けしたのだった。
2005年の初夏から真夏そして晩秋へと季節は変わっても、記録的な酷暑は以前 厳し
かった。猛烈な暑さと、深い悲しみと戦いながらの、取材スタッフと行動は常に一緒
だった。
自分の身の回りのことや、気持のコントロールだけでも精一杯の状態だった。が そ
のうち 私は、取材スタッフの方たちの情熱を感じ始めていた。   次回へ
続く
by wappagamama | 2008-05-24 15:39
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