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十一回目の定期総会を終えて


 湯雄視障協の責任を負かされてから、今年で11年目になったはず。
前会長のちょっとした勘違いから、欠席裁判にかけられて、訳がわからないうちに会長に仕立てられてしまったという、笑えない笑い話からスタートした会長職だった。
 最も、欠席裁判というくらいだから、私本人はその会場には当然欠席していたのである。

 そのころの視障協に対して大変おこがましい話ではあるが、私としては何の魅力も感じていなかった。いえ 魅力を感じないというよりは、正直言って不信感を抱いていたといった方が正しいかもしれない。
あまり本当のことを言ってしまえばいろいろ差しさわりが出てくるので発言を控えたいのだが?…
単刀直入に言えば、高齢者のディサービスのような(という表現をしたらこれまた問題かもしれないが?)退屈そのものの集まりにしか感じられなかったからである。
だから、私はその会を退会するつもりで総会にも出席しなかったのである。
ところが、その時の会長は、私のそんな気持ちも知らないで、勝手に「欠席裁判」にかけたところ、会員の大半がそれに賛成してしまったという、泣けない笑い話となってしまったのである。
当時の会長は、役員もおかずたった一人で何もかも一から十まで全て一人でやっていたのである。だから当然たいした内容のことができるわけが無いのである。
そのことを指摘した私に、仕方が無い・どうしようもない・一人で何もかもやってるんだからこれ以上のことは絶対無理の一点張りだった。

あれから十一年目、視障協の活動内容は大きく変わった。
行政・社共との深い繋がりは、日本全国広しといえども、といったらあまりにも誇張しすぎだろうか。
それに、地域社会特にメイン グランドとしているロイヤルホテルとのすばらしい信頼関係は、私にとっては、何物にも変えがたい支えとなっている。
このような環境が出来上がったのは、勿論私一人の力ではないことを申し述べておきたい。

 私が会長就任を前後して、一人の男性会員がイベントに参加するようになっていた。彼の話は他の会員さんたちとは少し違っていた。
それまでの会の雰囲気とはちょっと違うので、最初は私も、「なんか はんかくしゃ」と思わないではなかった。というより、この会場では悪いけどそんな話をしたってだれも興味を示す人はいないよ位に思っていた。
逆に言えば、元々のメンバーは、いろんな意味で視野が狭いというか、世間が狭いというか、話題も限られていたので、彼の話はもしかしたら若干浮いていたかもしれない。だが良く効いてみると、彼は視覚障害者としての将来のことを考えている。
そしてその考えは彼の波乱万丈の豊かな人生経験に基づくものだった。
秋田県内にとどまらず、関東はたまた本場中国まで行って中国治療を学んだというまさに本場仕込の腕を持っている。根本的にものの考え方が違う。


 私も、箱館で5年半鍼灸氏として学びながら、箱館の福祉環境も学んできた。
箱館の視障協に籍を置き、一緒に活動したときの経験は半端ではなく勉強になった。
その活動力の大聖なことには目を見張るものばかりだった。そしてその後帰省し、湯沢視障協の活動のあまりの退屈さに大会寸前になっていた。
丁度そのころ出会ったのが、その彼だった。
次回へ続く









長が出るか版が出るか 欠席裁判
by wappagamama | 2015-05-15 23:22
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