10年以上も前からのお付き合いをさせていただいていた大切な方々との信頼関係が悲しいかな壊れてしまった。 盲導犬と暮らすようになったことがきっかけとなり、そこの団体さんに何回か招待していただき、視覚障害者のこと・盲導犬のことを深く理解していただけるようになっていた。 そしてもうひとつの団体さんとは、音声パソコンを教えていただくようになったことがきっかけとなり、「県主催の住みよい町づくり運動」の団体さんから声をかけていただき一緒に活動していた。 そしてまたその団体さんとのお付き合いがきっかけとなり、そのほかの団体さんとの交流が広がり、私の活動は考えもつかなかった方向に広がっていった。 それは、音声パソコンでのデモンストレーションや講和など、横手方面までその活動は広がった。 そしてほかの障碍者との交流が始まり、車椅子ダンスのパーティーを開催するまでに練習を繰り返した。 何もかも初めての試みだったこと、またその団体さんたちにとってももちろん初めての手探り状体の七転八倒の繰り返し。 他障害の人たちとの乗り切ることの難しさも経験した。 そんなこんなのひとつひとつ乗り越えて・ひとつひとつイベントを終えたときの感動の達成感を行くたび味わったことか。 その間も二つ三つの団体との交流も広がり、その絆は深くなっていった。 そしていつの間にか、湯雄視障協で行う大きなイベントには、そちらの団体さんたちと合同のイベントなども行なった そうやって十数年、思えば湯雄視障協主催のイベントには、いつも大勢のボランティアさんたちが見守ってくれていた。 なんとありがたいことでしょう! なんとうれしいことでしょう 3年前、秋田県盲導犬使用者の会研修会の際、何日も前から準備に取り掛かってくださったばかりか、「盲導犬と一緒のときの視覚障害者のサポートをどのようにしたらよいかわからないので、きちんと講習会をやってほしい」と理事長さんからの要請があった。「サポートの仕方がわからないでウロウロ ワヤワヤしていたて 事故でも起こしたら大変だし、やるからには責任を持ってやりたいので」との皆さんの熱い思いからだった。 そこまで私たちに責任を持ち、肩入れをしていただいていることに私は絆の深さを感じて胸がいっぱいになった。 二日間のその研修会が終了し、その地元ボランティアさんたちにお礼の言葉を発したとき、大勢のボランティアさんたちが私の周りによって着てくれた。そして硬く握手をしてくれる人・肩を抱いて涙声なっている人・次から次へと厚い感動の渦に包まれたことがつい昨日のことのように思い出す。 一般の団体のかたたちとのお付き合いは、私にとっては障碍者でありながら障害者だけの団体とのお付き合いのからか脱出できていることへのすばらしい世界観を感じていた。 まだまだここでは書ききれないほどの感動と感謝の歴史は、沢山ある。 この事実を私だけのものにしてお くにはあまりにももったいなさ過ぎる。 なぜなら・この感動を一緒に味わっているのは私のほかに誰がいるだろう。 せめてせめて… … 一緒に活動していたとしても…一緒の目的に向かっていたとしても… 考えていることは一人ひとりみな違う・一人ひとり価値観も違う、何が体節なのかもそれぞれ違うのだからひとつのことを共有できるということも期待してはいけないということもわかってはいるが。 それでもそれでも こんなにこんなに長い間培ってきた信頼関係を… こんなに深い絆で結ばれていた関係を… 一人の人の心無い無責任なやりかたで壊されてしまった。 なんと悲しいことでしょう…なんとおろかなことでしょう… しかもこんな大事な事実を、その当の本人は何も気づいていない。 話をしてもわかってもらえるような人ではない、いえ 話をしたら逆切れされてしまうだけかもしれない。、 数年前までは私がその活動の責任者だった。でもある理由から私はその活動から手を引いた。その理由というのは、その人の理不尽な独占的なやり方に疑問を感じたからである。でもその私の思いはその人には一切伝わらなかった。 話し合いの余地もないと感じた須惠の結論だった。 だがその私の思いはむなしくも誰にも理解されることなく時が流れていった。 今回その一人の人の一般常識からかけ離れた言動で、ボランティア団体さんを怒らせてしまったというその事実はまさに、数年前私がその人に対して感じた思いと同じなのである。 ある日突然そのボランティア団体のトップとであって声をかけられた。 その人いわく「あんなやり方では一般常識では通じないよ」とお叱りを受けた。 私はただただ平伏して誤ったが、そのときはすでにわたしは責任者の座は降りていたばかりではなく、一切の関係を絶っていたので、そのことは私だけの胸にとどめていた。 そして それから数ヶ月、恒例の湯沢大会が開催された、一切の関係を立っているにもかかわらず、「湯雄視障協の会長として来賓で出席依頼が来ていた。立場上それまで断るわけには行かず仕方なくそれだけはと思い来賓挨拶をしにいった。 仕方なく出席するのには訳がある、私が退いた後もなおボランティアとしてご支援いただいていることへのお礼の気持ちを伝えたかったからである。 当然のごとく、挨拶の冒頭にはボランティアさんたちへの感謝の言葉は欠かせない。 なんということでしょう!… その二つの団体さんは会場には一人も着ていないと、当たり前のようにその当の本人が口走った。 「エッ!? 「狐にだまされたような感じがした。 その人いわく「何回電話しても通じなかった」とけろっとして言う。 「ハッ!?」「あぁー ソリャあんた嫌われたんだ」と思わず私は吐き出した。それが私の精一杯の思いだった。 でも私のそんな喪失感など爪の垢ほども感じていないだろう… そんなやりきれないどうしようもない気持ちをせめてブログに打ち明けさせていただきました。
by wappagamama
| 2014-12-09 19:02
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