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共倒れの危険が一杯の老老介護

 姉はとても明るく働き者で社交的な秘とである。

が私と違ってとても素直なところがあり、「純粋無垢」といえば言い過ぎかもしれないが、喜怒哀楽がわかりやすい人である。
「天然系キャラ」といった方がわかりやすいかも…。
うれしいことに関してはとても素直にその喜びを人に伝えたがる。
うれしいことは何回も繰り返しうきうきした声で話している。
そんなときが姉の最高の私服のときのようだ…。
 それが、息子自慢であったり・孫自慢であったり・自分の趣味の自慢であったりとその材料に関しては枚挙にいとまがない。
繰り返し聞かされているこっちにしてみれば「耳だこ」になっているのに、そんなことはお構いなし。
昔、そんな叔母の様子を見ていた我が家の息子が言った一言が私の耳にこびりついている。
「人に おらだぢの自慢話を絶対するなよ」
息子が中学生のころの話、最も自慢できるようなことは何もないけどとほくそ笑んでいたのを思い出す。(ほくそえむ)という言葉はこんなときに使うのかな、一度使ってみたかったので…エッヘヘ)
最も私自身もそんな姉の部分を少なくとも素直に聞き入ておくだけのゆとりがなかったせいもあり、自分だけはそんなことをしないようにと反面教師になっていた。

そうなんです、姉の息子たちは二人とも野球少年で素晴らしい活躍をしていたこともあって、母親としてはそりゃ誰枯れなくしゃべりたいのは無理もないこと。
そんな姉の話を、「もうう何回も聞いた話しだよ」とは言えずに我慢して聞かなければいけないというストレスがたまることも多々あった。

 そんな自慢話をしているうちはまだいいとして、そのうち姉の体調が思わしくなくなると、一転してマイナーへと変わる。
これまた、性格の弱い部分が素直に出てしまうところがある。
そこも 意地っ張りな私とは反対の性格なので、ある意味うらやましいとさえ思うこともある。

 これまた、心身が弱くなると、SOSを発信しやすいターゲットが私らしい。
その理由として、夫の頑固さで苦労した経験者である私だからこそわかってもらえるだろうという「同病会い痛む」的なところから来るもののようだ。
それになんといっても、心身の痛みは経絡治療で楽になるという一番の経験者であるため、「苦しいときの神頼み」的な気持ちが強い。

 本人に言わせれば、「心臓がこんなに苦しいのにどれだけ我慢すればいいの」とか、介護の大変さを泣き言のように並べる。
息子家族が一生懸命面倒見ているのだから、家族でない私が余計な口を挟むことはできないが、姉のことが心配な私としては、せめてせめて、姉の話を聞いてあげるしかない。
本格的に姉がダウンしないように、好物を作ってまめに通ってあげるしかない。
話し始めは泣き言ばかりだけど、話しているうちに声が出てきて、気持ちがスッキリしたと笑顔も出てくる。
社交的なそんな姉の家には、心配してきてくれるお客さんも多く、そんな友人たちにも励まされながらこの正念場を乗り切ってくれることをただただ願うのみ!
by wappagamama | 2012-03-10 23:47
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