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盲人たちの 「3、11」

盲人たちの「3.11」 闇の中あの大津波からどう逃げたのか

 光も色もない世界で、「津波の恐怖」と、どう対峙したのか。「壊滅した故郷の街」を頭の中にどう描くのか。大震災。「音」だけが頼りだった全盲の被災者たちを、追う。

 宮城県東松島市の金子たかしさん(65)はそのとき、自宅2階にあるデスクトップの音声パソコンの前に座っていた。
 目が見えない金子さんのパソコンには、盲人用の音声ソフトが組み込まれている。パソコンが発する合成音声で、視覚障害者団体などからのメールの文面をチェックしていた。
 ●波に揉まれながらも白杖離さず
 最初に、小さな揺れを感じた。「これで終わりかな」。少し安心した途端、激震が来た。外に逃げなければ。階段の手すりを伝って1階に下りた。盲人に欠かせない白杖を手探りした。あれほどの激しい揺れでも家屋に大きな影響はなかったのか、白杖はいつも置いている玄関わきにあった。それを折りたたみ、右手に持った。そこに不気味な「音」が迫ってきた。
 「ゴゴゴゴ……」と重機が近づくような音がした。同時に海岸に面する南側の窓ガラスがガチャーンと割れる音が聞こえた。
 「津波だ!」
 とっさにそう思った。
 一人暮らしの自宅は石巻湾の海岸から直線距離で300メートルほどの場所にあった。
 「シュー」という音がした。と思うと、一気に海水が胸元までくるのがわかった。体が海水ごと山側の方向に押し流された。
 無意識に呼吸をとめた。立ち泳ぎのような姿勢のまま濁流に身を任せた。水中で音は聞こえず、ただ、車のガソリンなのか、油のにおいが強かった。
 どのくらいたっただろうか、気がつくと、海水が引いていた。両手両足で四方を確認すると、頭の上にトタンのようなものがあった。手で少しずつかきわけていった。
 修羅場の中でも、なぜか白杖を最後まで握っていた。それを伸ばし、周りを探った。障害物が何もなかった。それで残骸の一番上に出られたのがわかった。
 ずぶぬれのまま残骸の上に腰掛け、じっとして体力の消耗を防いだ。やがて聞き覚えのある女性の声がした。
 白杖で残骸をがんがんたたき、「助けてください!」と叫び続けた。
 女性は近所の民生委員だった。彼女に助けられ、近くにあったもともと空き家の一軒家に避難した。「とりあえず今夜はここで」と彼女に手を引かれて階段を上がった。空き家の1階部分は津波にやられていたが、2階はかろうじて無事だという。
 夜はこの2階で一人で寝た。幸い布団があり、下着一枚で毛布にくるまった。目が見えないことに加え、勝手もわからない家で、ただただ、じっとしているしかなかった。水も食料もない。小用を足すときは、手探りで窓を開けて外の階下へ放った。
 熟睡できず、うつらうつらした。余震の度に家全体がギシギシ音を立てた。それ以外は、物音一つしない静かな夜だった。
 翌朝、「金子さん、いますかー」という声が、外から聞こえてきた。民生委員の女性が自衛隊に連絡してくれていた。
 救出後、避難先で医師に診察してもらうと、肋骨が4本折れていた。激流にのまれていた時、残骸にぶつかり、強く圧迫された。その際に骨折したらしい。
 3月下旬に姉がいる栗原市のアパートに引っ越した。
 30代後半に緑内障を発症した。徐々に視力をなくし7年前に完全に失明した。
 自宅のあった野蒜地区は、800人を超す死者が出た東松島市の中でも津波被害が最も大きかった地域だ。地区では300人を超す遺体が見つかっている。金子さんの知り合いも隣人を含め10人以上が亡くなった。そうした中で、目の見えない金子さんが助かったのはなぜか。
 「失明する前、趣味でスキューバダイビングをしていました。その時に、水の中では何をしても無駄だから、水に逆らわず無駄な動きだけはするなと教わりました。そうした経験がいきたのかもしれません」
by wappagamama | 2011-04-28 19:08
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