その日の会場はいつもに増して熱気が充満していた。
一テーブル8席ほどで10テーブルはあったろうか。
おしみないみなさんの挨拶も、必然的におもいがはいり、中々止まらない。
主たる方たちの挨拶が終わりセレモニーも終板に入ったころ、テーブルにはご馳走が運ばれて乾杯が始まった。
引き続き一テーブルから代表がひとり挨拶。
司会者はわたしの同級生。
長年にわたってTさんの事務局として支えて喜多方である。
その司会者が次の人を紹介し始めた。
「高階順子が今日まで健康でがんばってこられたのは、長年にわたって順子の健康管理をしていただいていた柿崎妙子さんのお陰です、 その柿崎妙子さんからひとことお願いします」
こんな場面でそんなふうに紹介されるなんて、おもってもいなかったのでうれしいやら困ったやら…。
隣の席に座って世話をしてくれていたTさんのお酌がまめなもので、 もう すでにわたしは酔いが回っていた。
エルモをかわいがっていただいていること、皆さんが思っているほどTさんは頑丈ではないこと、体をここまで酷使してがんばっていたこと、でもだれよりも東洋医学のすばらしさを理解してくださっていたことそしてその東洋医学を多くの病んでいる人に知らしめてくれたこと、「彼女こそまさに現代の宮沢賢治」ということをいいたかったのだったが?…
実際は?…
だが その後 わたしの存在を知った人々が何人か声をかけてくれた。
そのひとりに、幼いころの隣人がいた。
半世紀ぶりに会ったその人はアトラクションで舞を踊っていた。
私の顔に面影があると懐かしそうに声をかけてくれた。
面影って残っているものかなーと思ったが、彼女と話しているうちにその子供のころのかわいい彼女の顔が思い浮かんだ。
毎回Tさんの後援会会場では踊りを披露していたようだったが、今回わたしがマイクで声を出したので気づいたとのこと。
Tさんの同級生として長年応援してきたというその幼馴染とも、今回の解散総会で始めて気づいてくれたこと、もしかすれば今日が最初で最後かもしれないと不思議なめぐり合わせを感じた。
週間福祉情報