先日、湯視協の研修レクがあり、いこいの村へ行ってきた。
まだ若干視力が残っていた頃に、何回か行ったことがあったので、記憶の中にイメージができる。
途中の「三途川」(さんずがわ)にバスが通りかかったとき、付き添いで同行していた会員の一人が「うわー きれだ 紅葉が真っ盛りだー」と感嘆の声を上げた。
そう ここ三途川渓谷の紅葉は、天下一品の絵巻物である。
えもいわれぬうつくしさと渓谷の醍醐味は今でもわたしの瞼にくっきりと映る。
昔は吊橋だったというこの渓谷の橋。
ここから身を投じてもそのなきがらを再び上に挙げることは不可能とまで言われている。
かつてわたしもいくたびかそんな思い出そこにたたずんだ事がある。
何も知らないで、背中でスヤスヤ眠る乳飲み子と、無邪気にはしゃいでいる幼児のてを引いて…。
その時わたしはまだ若干20歳半ば。
あれから もう 40年が過ぎた。
そこを通るたびに、弱かった自分の過去を思い出す。
強くならなければ、この子たちのために強く生きなければと自分に言い聞かせて生きてきた。
でもその40年間の間に、無意味に強くなりすぎて、今と成ってはそんな努力はナンダッタンダロウト無力感に襲われる事がある。
とんでもなく重く暗い話になって締まった。
こんな事を書くつもりでキーボードを叩いたのではなかったが、何故か最近は書く事書く事全てが、マイナスのエネルギーに引きずられてしまう。
色んな悩み事も、あせっても仕方がないからと自分の中で、処理しているつもりだった。
でも 基本的なところで、自分をごまかそうとして、カットウしているからなのだと思う。
重すぎる記事でごめんなさい。