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西馬音内(にしもない)のお祭りの赤飯 何年ぶり?

何年ぶりだったかな?お祭に招待を受けたのは

 ほんとにほんとに久しぶりに「お祭だから遊びに来い?」
と珍しく熱心に誘われたけど、まだまだ東京疲れが抜けていないのでと丁重にお断りをしていた。

 隣町に住む姉からのお誘いだった。
その姉が昨日赤飯・かんてん・漬物各種大きな容器に積めて持ってきてくれた。
昔はよくこうやってご馳走や珍しいものを運んできてくれた姉。
10歳年上のその姉の人生もいろいろあった。
大きな病気をしたり・うつ病になったりそのために次男家族が同居するようになり、それはそれなりの立場でいろいろあったようだが、長い年月をかけて病気から脱出した。
次男家族もスープの冷めない距離に引越し、再び夫婦二人の平和な(?)生活が戻ってきた。がそれと前後して義理の兄の癌が発祥し、万が一のことも覚悟するようにとの大病も今は乗り越え、定期的抗がん剤で不思議なくらい安定している。

 病気に立ち向かう義兄の真剣な姿勢は、誰でもが簡単に真似のできるということではない。
そんな義兄に改めて心から尊敬の念を禁じえない。


 その姉が、私が長期留守にして連絡が取れなくなっていたことを心配して、あっちこっち兄弟に連絡を取っていたようだ。
「娘の体調が良くないのでチョット東京へ言ってくる」と言った事さへ私はすっかり忘れていた。
留守電に入っていた姉の声に「ハッ」としすぐに電話。
娘のことが心配で他の事は頭から抜けていたと謝るしかなかった。
ひとことふたこと話をしているうちに、昔のことが頭に浮かんだ。
私の20・30代のころ、いや 40代のころもズ~ッと姉は私のことを心配し応援してくれていた。
姉本人が病気と戦っているとき意外はほとんどそうだった。
そんなことを思い返しているうちに、あのころ姉が夢中で私のところへ駆けつけてきてくれていたことを思い出し、今回私が娘のことが心配でたまらない気持ちは、あのころの姉も同じだったんだと、今になって改めて姉の優しさがわかる気がする。

思えば、その姉の優しさを重荷に感じて、私は姉の心を傷つけてしまったこともあった。
肉親であるがためにわがままをぶっつけたこと、今でも忘れることはない。
私以上に姉の心にも鮮明に残っていると思う。
そんな姉が大病を患ったとき、自分が姉にしてあげられることはと真剣に考えた末、鍼灸士としての知識と技術を確実なものにしていこうと硬い決心をさせてくれたのもその姉だった。
長く苦しかった私の道のりではあったが、その全てが今の私に繋がっていたことを、今やっと素直に受け入れることができていることに感慨無量なものがある。

 その義理の兄も83歳。私からそっちに行くことはあっても、その義兄はただの一度も我が家に上がったことはなかった。
昨日姉の声で玄関に出たら、その義兄の声がした。
うれしさのあまり「うわ~うれしいうれしい とうさんも来てけだぁ? 上がって 上がって」 といいおえるかいな もう上がってきていた。
「妙子えさきたなはじめでだなぁ」という声に目頭が熱くなった。
口数の少ない義兄ではあるが、私の人生を姉と共にいつも「ジ~ッ」っと見守ってきてくれていた。
そして私の人生の分岐点ではいつもやさしいひとことが私の心を救ってくれた。
その義兄の大きな懐に抱かれたかのような安堵感にどれほど癒されたか知れない。
嫁ぐ直前に父親を亡くした私は、人生の本当の苦労にぶち当たっているときに、父からのアドバイスも愛情も叱りも知らない。
だけど、年の離れたその義兄からのやさしさとひとことは、私にどれほどの勇気をもたらしてくれたか知れない。


  大きな大きな困難を乗り越え長い時間をかけて今、姉夫婦は穏やかで幸せな日々を過ごしている。
同居していたころには気づかなかった次男家族との関係も、見ているこっちも今はほほえましい。
義兄の病状が頭を持ち上げないことを祈る思いで、日一日大切に過ごしているように感じる。

 もともとおしゃれな姉は、絣の着物をリニューアルしてロングスカートを作ったと触らせてくれた。
いくつになってもおしゃれを忘れず・楽しいこと・好きなことをして、夫婦仲良く老後を楽しんでいる姿はほほえましい。
義兄と二人揃って来てくれたこと、二人の幸せそうな笑顔がまぶしかった。
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by wappagamama | 2011-09-20 18:01

ゴーヤーとあめしろ談義


 初夏に植えたゴーヤーが、思うように成長しないので心配していたが、なかなかどうして どうして…

 留守の間の暑さのお陰でスクスク実をつけ、そのうちの2本を東京に送ってくれた息子。
最初の一本は収穫時期を慰している内に見る見る黄色くなりそしてオレンジ色になってしまったとのこと。
湯沢と東京 兄と妹の電話で、ゴーヤーの調理方法を教えてもらっって、チャントゴーヤーチャンプルを作って食べたと…。

今年はあめしろが大発生したらしく、自宅の裏の大きな木があっという間にスカスカになってしまったこと、網戸にまであめしろが這い上がってきたこと、花壇のゴーヤー畑にも・家の前の駐車場の草やらにもあめしろだらけなのでサンダルでは歩けないとの事。
エルモのおしっこタイムにも奥にはいけないので手前で済ませようとしてもエルモ的にはそうはいかない。
エルモがあめしろに刺されるのを心配して息子は、友達から借りてきたという草刈機で草を刈り、殺虫剤を撒いてくれた。
エルモに影響しないように薄めにして…。

 長期留守にしていたため駐車場は草ぼーぼー。
さすがの息子も見かねて動き出したようだ。
エルモのこととなるとすんなりと動いてくれるのでありがたい。
いえいえ エルモのこととは限らず、家の中のさまざまなこと、たとえば 二十サッシ戸がぎーぎーいって重かったのをすんなりと開け閉めできるように直してくれていたり、台所も使いやすいように直してくれていた。

 家の中も制痢整頓をし、一人暮らしをエンジョイしていたようだった。
その分私に対する注文もチラホラ出るようになった(わらい)

 大曲駅まで迎えに来てくれていた息子と帰路 あめしろとゴーヤー談義に花が咲き、虫が大の苦手の私は家の中に入るのさえもぞもぞするほどあめしろがきになった。


 人の出入りがなかったため、玄関先も駐車場も草ボーボーになっていたが、あめしろと蚊の発生で私は草むすりができないでいる。
というより本当はまだまだ東京疲れが治っていない。
まだまだマイペースを取り戻せずにいる。
エルモもエルモなりに疲れているらしく毎日睡眠時間が長い。
患者さんからの予約の電話も最小限度に押さえ自分の体力の回復に専念することにしようっと…
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by wappagamama | 2011-09-18 18:21

娘と同じ症状の新患さんが増えたのは偶然?…


 昨年、娘の発病以来、どうゆうことか娘と似たような症状を呈して訪れる患者さんが増えてきている

 それも全て女性、しかも年齢も同世代。
はじめて来院したときのその患者さんたちは異口同音に「頭が痛い・肩こりが激しくてどうしようもない・背中が痛い」と訴える。
治療ベットに横たわり脈診・問診・触診(切診)をしているうちに患者さんの口からは次々と痛いところ苦しいところが飛び出す。
そしてそのほかに決まって意味不明な特徴的な症状があることを訴える。

それは、足がしびれるとか・腕が重くて箸がもてないとか・家族や周囲の物音が頭に刺さるとか、息苦しくなるとか・ひどい人になると嘔吐を繰り返している人も居る。

昨日一昨日と二日連続で来院した新患さんもそうだった。
話を聞くとその痛みと苦痛の裏にはさまざまな背景があった。しかももうひとつ共通していることには、本人がその原因をよくわかっていないのではないかということである。

 戦後「靴下と女性は強くなった」といわれているが、女性が強くなったのではなく、男性があまりにも情けなくなってしまって、その分女性の負担が重くなったことに誰も気づいていないからなのではないだろうか。
そしてどうゆうわけか、もうひとつの共通点がある。
それは、頑張り屋さんで周囲に気遣いをするタイプどちらかといえば優しい女性に多いように思う。
私が今まで手がけた患者さんたちを振り返ってみても、まんざら見当違いではないと思う。

自分の心の中さえ良くわからないのに、 人の頭の中も心の中も腹の中も覗くことはできない。


私自身いろんな失敗を繰り返してきた。
失敗した人間が人に何かを申すなどとえらそうなことは言えないが、失敗した経験は決して無駄にはなっていない。
経験したからこそ言えることもある。
経験をしたからこそ見えてくるものがある。
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by wappagamama | 2011-09-18 16:11

東京から帰ってきて一週間…



 国分寺の娘宅で過ごした真夏の38日間。

 長い長い東京暮らしからやっと脱出!
あの暑さの中での38日もの生活は正直言って大変だった。
自分の体力の衰えをまざまざと思い知らされた。
こんなことを言ったら娘が気にするかも知れないが、でもこれも受け入れなければいけない現実なのだから仕方がない。

 全般は、一緒に買い物に出かけたり・一緒に台所に立って調理をしたりと結構楽しくやっていた。
だんだん日にちが過ぎ、半端ではない蒸し暑さで体力が奪われ、間取りの違う家ノ中での行動の大変さ・娘婿との人間関係などで日に日に苦痛になり体力が落ちていくのがわかっていた。
自分で自分に治療を施しながら何とかしのいでいたが、正直言って、これもエルモがいなかったら遣り通せなかったと思う。

 今回もエルモは大活躍をしてくれた。
娘の病に対してもエルモはとてもすばらしい癒しの役目を果たしてくれたし、娘婿との険悪な雰囲気にもエルモの存在は大きかったと思う。

 病と闘っている娘のことを思うと、こんなことぐらいで尻尾巻いて逃げるわけにはいかないと正真正銘歯を食いしばった。
私が娘のために何かをしてあげられるのはこれしかない…。
と思っていても、そんな私を見ている娘のほうも辛かったと思う…。

 そんな中、娘の身体的症状も大分改善され、いくらか明るい見通しが出てきていた。
でも娘の身体を蝕んでいる原因は、勤務先の過酷な労働と揉圧のほかにもっと大きな原因があったことに、今回私は確信した。
その原因を改善しなければ、根本的な改善には程遠い。
そして なんとその一番の諸悪の根源に娘自身が気づいていないということにも問題がある。
いえ もしかしたら気づかない不利をしているのかもしれない…。
それを認めることを恐れているようにも思う…。
娘はいつも言葉の最後に、「世の中にはもっとひどい人が居る、私なんかまだまだ幸せなほうだ」と…。
そういって自分をなだめていたのではないかと思う。
それはそれで立派な心がけではあるが、そのために自分の心身を痛めてしまってはなにもならないということにも気づいて欲しい。
世の中にはいろんな人が居る、自分の言動が人に傷つけていることを気づかないでいる人も居るし、また少しくらいのことでは意外と平気で通りすごしている人も居る。
また人を傷つけることなくすごすことはほとんど無理なこと。
自分自身もそのことに関しては一言もない。
だからといって何事にも限界がある。
その限界は人さまざまで、その限界が過ぎると知らず知らずのうちに心も体もじわじわと病んでいく。
自分の限界を知ることも大切なこと。
娘の友人からの手紙の中にあった言葉に私は心を引かれた。
「自分の体の声を聞いてあげてください」と…
体と心の声を聞いてじっくり対話することがどれほど大切かと…。
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by wappagamama | 2011-09-18 10:32

今日で丁度一ヶ月

 エルモのお散歩から帰ってきた娘「足の筋肉が気持ちいい!」

 「足には5本の指があったんだ!という感覚がわかった」
と言って、私の足にその指でコチョコチョするようなしぐさをした。


「どうやって息をするんだっけ?」とか「手足をどうやって動かすんだっけ?…」
などと数ヶ月前の自分の様子を何気なくではあるが、それまでの苦痛を吐き出していた娘。

 ストレス性による自律神経失調症と明らかな症状を呈している。
科学や医学や民間療法などにすがり、あらゆることを試してみたようだが、どうにもこうにも自分の体が自分でないような えもいわれぬ苦痛との戦いだったようだ。
だからと言って… 母親から経絡治療をしてもらったからと言って… 必ずしも病状が改善されると言う確信があったわけでもなかったかもしれない…。
そうゆう私自身にもそんな不安がなかったと言ったらうそになる。
などと迷っている場合ではなかった。

そんなこんなのいろいろあったが  とにもかくにも直接手をかけて見なければわからないことである。
と 意を決して上京してから丁度一ヶ月。
ただただ黙々と治療を施し、ただただふんふんとうなづきながら娘の話を聞き、一切治療効果も尋ねず、一日一日をあせらずゆっくりと 時の流れに任せて過ごしてきた。

1週間ほど経過したころから娘の状態は日々変化していった。
「脈診では、痛みの実脈が薄れ、切診では頭の形が丸くなり、全身の気脈が和らぎ充実し、腹診では、肝・心・脾・肺・腎の診どころにも少し力が出て充実してきた。
彼女の発する吐息とで彼女の身体の苦痛が少しずつ和らいでいく様子が取れていたが、あえてそれを彼女の口から聞こうとせずに自然に言葉になるのを待った。


そして一ヶ月、エルモとのお散歩も・食事の準備をする物音も・友人や知人との電話での会話の声も、がんばって元気にしているのとは違って普通に楽しそうにやっているのが何よりの証拠。
そしてそれらのことをしながら娘は自分の体の変化を感じ取っているようだ。
お散歩から帰った彼女のそんな何気ない言葉に・そんな何気ないしぐさにほっと安堵している私。

「エルちゃん よかったねぇ~ エルちゃんとかあさんがかなちゃんとこへきたかいがあったねぇ~」
今やエルモはかなちゃんがかあさんだとおもうほど 一日一杯かなちゃんのあとをくっついてあるいている。
エルモはエルモなりに病んでいる人のことの心にそっとよりそう不思議な魅力を持っている。
甘えん坊のエルモ、その表情やしぐさにはなんともいえぬ癒しを感じると…。
エルモありがとう
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by wappagamama | 2011-09-03 07:32

東京滞在も一ヶ月になろうとしています


ヒト網膜細胞由来の完全な遺伝子16万クローン公開

 国立障害者リハビリテーションセンター研究所(国リハ研、埼玉県所沢市)は16日、視覚障害に関わる遺伝子を探索する研究の一環として、ヒト網膜細胞で発現している全遺伝子の解析を進め、独自技術を用いて約16万個のヒト網膜細胞由来完全長cDNAクローンiを作製したと発表した。
 国リハ研を訪れる視覚障害者が最も多く罹患している疾患は、網膜色素変性症である。網膜色素変性症は、最終的には失明に至る進行性の遺伝子疾患。日本で3万人以上、世界で170万人以上の患者がいると言われている。これまでに世界で40種類以上の原因遺伝子が報告されているが、同研究所では新規の原因遺伝子候補を探索する目的で、網膜細胞で発現している遺伝子の網羅的解析を実施してきた。
 今回作製したcDNAクローンiのうち39,643クローンは、末端の塩基配列情報を解析済みで、7,067種類の遺伝子から構成されていることが明らかになっている。このクローンセットは、ヒト網膜細胞由来の完全長遺伝子セットとしては世界最大級で、これまで取得困難とされていた希少な遺伝子や長いサイズの遺伝子の完全長cDNAを多数含んでいる。今回、理化学研究所バイオリソースセンター(茨城県つくば市)は、これらのクローンを公開し、世界中の研究者による利用を可能にした。今後、ヒト遺伝子の多様性に関する研究を行うための完全長cDNAリソースとしての活用も期待される。
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by wappagamama | 2011-09-01 17:18