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平和にスタートした今年最後の朝


 今朝 いつものように流しの中を片付けようとして、蛇口をひねったが、いつまでたってもお湯が出てこない。

 真夜中まで起きていて寝る前に最後に湯沸かし器の電源を切るのが我が家の息子の癖。
玄関の鍵とか電気カーペットのすいっっちなどには意外と無頓着なのに、こと この湯沸かし機に関してだけはまず忘れることはない。
  なので、わたしの朝一番の仕事が湯沸かし器のスイッチを入れること。

今朝もいつもと同じように、スイッチを入れて洗物をしようとしていたのにいつまでたっても水がお湯に変わらない。
「あれっ? もしかして息子がスイッチを切るのを忘れたのかな、と思い、もう一度スイッチ「ON」
今度こそ大丈夫、と 思いきや…。
 湯沸かし器そのものは作動しているような音がするのに相変わらずお湯が出てこない。
風呂場に行って蛇口をひねってもお湯が出ない。
 何回も出したり止めたりしているうちにガスが漏れて爆発したら怖いと重い、ガス屋攅に電話した。
朝早かったのにものの5分もたたないうちにガス屋さんが来てくれた。
これだったら救急車より早いなと独り言を言いながら出てみたら、従業員さんと会社の奥様が顔を出してくれた。

 その奥様は、11年前ユーパスと歩行訓練をしているときの練習コースに自宅がある。
そのころから盲導犬と歩く練習をしている私たちにとても好意的な目で見守ってくれていた。
「えらいね すごいね すばらしいね」と言葉すくなではあったがいつも涙声だった。
何か力になりたいけどどうすればいいかわからなくて…といいながら時々手作りのお惣菜やらなにやらいただいた。

 そんな奥様が今日大晦日の朝、従業員さんだけで済む話なのに一緒に車に乗ってきてくれた。
「柿崎さん風ひいでにゃがったんしぎゃ、ユーパス君も元気?」とエルモに話しかけている。
「あ ちがった ちがった ごめんね この子はなんて名前だっけ?」といいながら「そうだそうだ この子は弟ちゃんだったから若い子なんだおんね」と時代錯誤しているらしい。 

思えば、 弟と入ってもエルモはもう 7歳、ユーパスが亡くなった年と同じになっている。
初めて貰った盲導犬とは半端でないくらい歩く練習をした。
何回も何回も迷子になりながら自分の足で自分の体で覚えるまで練習をした。
そんな姿が人の心には残っていたのかもしれない。
 あれからもう 10年も過ぎているのに、人の心にはまだユーパスが残っているようだ…。

 2頭めともなると練習も少なくなるし、まずなんといっても外出が少なくなった。
自分の生活パターンも少しずつ変化してきているし、余計なことわずらわしいことにはあまりかかわらないでゆっくりと穏やかに過ごしたいという気持ちもあって、できたら面倒なことには首を突っ込まないようにしてやっていこう。
楽しいこと・愛称のいいこと自然に気持ちを楽にして楽しめることに心を向けていこう。

 ユーパスは社交的で主人公だったけど、エルモは斟酌で遠慮深くてうるさいところが嫌いな子だから、そんなパートナーの性格も考慮してやっていこうと思っている。

 奥様と世間話をしている間に、従業員さんがガス湯沸かし器を治してくれた。
お互いに「よいお年を…」と言い合って何事もなかったかのように、大晦日の朝今年最後の一日が平和にスタートした。




 
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by wappagamama | 2010-12-31 15:20

今年もいろいろ会った…


「 正月休みは何日?」と聞いていった患者さんたちがそろそろ顔を見せ始めている。
治療に来院する時間を取るのが中々難しい多忙な患者さんたちは、わたしの正月休みが気になるらしく、ほとんどの常連さんたちが合言葉のように尋ねる。

「基本的には休みません。 わたしが何も用事がないときだったら仕事をしますのでよかったら電話をください。」
そんな患者さんたちがそろそろ正月用の体を作るためやってきてくれる。

  一年間の疲れを癒す目的で…。
正月帰省客の接待の目的で…。
正月休暇に旅行する目的で…。
自病のコントロールの目的で…。
目的はみなそれぞれ違うが、一年間働いてくれた自分の身体を癒し慈しみ、疲労や老廃物を除去し、全身の新陳代謝を促して、いわば 身体の大掃除をしているような感じがする。

 そういった患者さんたちに限って、帰省した家族の健康に対しても心配りをしてくれている。
ほんの 2・3日の帰省期間にわたしのところへ送り込んでくれるというパターンだできているようだ。
だから、いつでも電話くださいというと、安心して電話をくれる。

その人数はたいしたことはないが、限られたスケジュールの中でいつでも行けるとゆう安心感だけでもあればいいのではないかと思う。
最も、私自身これといった予定があるわけでもなし、毎日のことを繰り返していればいいのだから、特に困ることもない。
それに、なんてったって、最近の柿崎妙子治療院も世間一般に同調して暇な日々を過ごしている。
だから、来てくれる患者さんがいるだけまだまし。
せっかく来てくれる患者さんがいるときくらい喜んで仕事をさせていただかなくては…。



  幸い、まだわたしは引退するほどのやる気を失ってしまったわけでもなし、むしろ、最近の暇さに身をもてあましてしまっているといったところだし…。
それで、魔が差して読書を始めたが、これまたどうも意にそぐわない。

 やはりわたしは、一番好きなのが仕事のようだ。
仕事をしているときの自分が一番好き。
だから特に正月休みなどなくてもいい。
仕事ができる体と技術があれば、いつまでもそうしていたい。
と思っていてもいつなんどき何がおきるかわからない、今ある自分と生活に感謝し体節に過ごして生きたい。
今年もいろいろあった。今までに味わったことのない、苦い経験もしたし…。
これまで数限りない出会いや感動を経験したが、今年のそれはまた一段と違うものだった。
その世界観はことばで表現するのは難しい。
基本にあるものは「やさしさ」それが中心となってひとつの世界ができている。
いろいろあったとしてもそれは当然のこと、それでもやはり基本になっている軸は「やさしさ」から成り立っているので自然にそこへ向かってまとまっていっているように感じた。

基本的な何かが違う、私自身計り知れない何かを感じ取ってきた。
少しずつでも余計なものをそぎとって行けたら肚思う。
簡単なことではないことはわかっている、幸い0からのスタートを切った年でもあった。
そんな意味でも今がチャンスなのだと思う。
これは、自分にしかわからない自分への誓いの言葉。
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by wappagamama | 2010-12-30 20:26

うたたね


 年末特番を見ていて、めったにないことうたたねをしてしまった。

 電気カーペットの暖かさと、ファンヒーターで暖められた部屋の中で、かいまきに包まれながら、息子と2人で年末特番を見ていた。

かいまきのふかふかが大好きなエルモも、そっと足元にもぐりこんできて幸せそうに寝ていた。
放映されていたテレビの内容はクイズ番組「タイムショック」などといっていた。
この手のクイズ番組になると、わたしもちょっと「リキ」が入ってしまう。
この番組は、視覚障害者でもなんの不自由もなく楽しめる内容なので、特にうれしい。傍で見ている息子も自信のある解答になるときっぱりと声を発して楽しんでいる。
わたしも負けじと解答するのだが、どうも 最近は回答者よりワンテンポ遅れるきらいが出てきているようだ。
回答数も以前の自分とは若干 いや明らかに少なくなってきている。
これはなんだな、やはり 脳の働きの衰えってやつかな?…。
いやおうなしに、年が明ければ またひとつ年を加えなければ行けない。
ま これも仕方のないことかな?と受け入れて認めなければ行けないことなのだと思いつつも…

だが、最近、夢中になっている小説がある。
これまた困った子とに、読み始めるとやめられなくなってしまうという悪い癖があるため、なるべく読まないように努力してきた経緯がある。
気に入った本が見つかると、食事もしなくともよくなってしまうほど夢中になル。
掃除も仕事も受け付けなくなってしまう。
そうなるのが怖いから、できるだけ本は読まないように勤めてきた。

 今現在ほんとうに久々にはまりこんでしまった本をなぜか熟読している。
どちらかといえば、私好みのタイプのものではないので、もうこの先はやめようと思っていても、2巻目も熟読してしまった。
好むト好まざるにかかわらず、ここまでひきつけられたのにはそれなりの魅力があったからなのだと思うしかないが、それにしても、不思議な気分になる本に出会ってしまったものだと思う。
2巻で完了にはなっていないのでこの先どうなるのかとやたら気になるが、でももう やめようと思う。

その理由は、読んだあとで充実感とか幸せ感とか・楽しかったという気持ちになれないこと。
それに、延延とパソコンから聞こえてくる朗読者の声に支配されていて何者も手につかない自分の姿が嫌いだから。
エルモにもひどく退屈な時間を虐げてしまっている。
食事の準備もめんどくさくなり手抜き作業になってしまうのも嫌いだ。
モトモト食事の準備は嫌いではないのに、本に夢中になってしまうと、手抜きしている自分のことが嫌いになってしまう。
タカガ小説にハマリコンデシマッテ、ほかのことがオロソカニナッテシマウコトガイヤダカラトイウ理由ナノダガ、ホカノ日常生活ヲ決してキチントヤッテイルワケデモナイノニ、ソレデモコレ以上崩れたら大変。
なにわともあれ、仕事もしたくなくなってしまうのは困る。
それに、私が一番嫌いな、食べ物に対する粗末な心になること。

 話 は元へ戻すが、「タイムショック」というクイズ番組の解答をしていて気づいた。
解答のいくつかが、今読んでいる本から得た解答だったこと。
反射的に出たその解答は、その本を読んでいなければ知りえなかった問題だったこと。
その解答ができたからといってどうってことはないのに、本を読んだことによって、何かが得られていたこともあったのだと…。
でもでも やはり 本に夢中になっていたことで、失ってしまったものもいくつかあることも確か。

 それは…  上の空でやっていた性で、調理を失敗したこと。
それに、患者さんからの予約の受付をしなかったこと。
そして、何より、エルモに退屈な思いをさせたこと。
これだけマイナス点が多ければやはり今後も考えなければ行けない。

普段使っていない脳みそを酷使しているので、横になれば寝てしまう。
テレビを見ていて爆睡してしまったらしく。目覚めたら翌日の2時。もう 30日になってしまった。
ブログ更新も怠けてしまっていたので罪滅ぼしととその言い訳の意味で久々に更新しま~す。
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by wappagamama | 2010-12-30 04:14

外はテカンテカンのアイスバーン


  クリスマスと歳末にどか雪が不利、エルモとにいさんの運動不足解消になり、いろんな意味でほっとしていた。

 その後の雨で地面の雪はあらかた消え、グさグサしていた。
たった今、エルモのおしっこタイムで外に出たら大変なことになっていた。

 コテンコテンのアイスバーン!
歩けない!
いつものおしっこポイントまでも滑って歩けない状態!
エルモは平気で歩いているけど、わたしはへっぴり腰!
「危ない!危ない! 滑る 滑る エルモちょっと待って」
奥に行かないでここでおしっこしなさいとばかり、エルモに促してみたが、エルモにはエルモの事情があるらしく(?)もっと先に行こうとしている。

 「だめだめだめ」とチョークをしようとしても足元が滑るのでうまくいかない。


 何年か前に、新潟の友人が滑って転んで腕を骨折したことを思い出した。
彼女もきっとこんな状態のときに滑って転んだのだろうなと思い、「くわばら くわばら」とへっぴり腰でやっとの思い出玄関まで戻ってきた。


 こんなテカンテカンの凍った状態のところで転んだら、さぞかし危ないだろうなと思いながら、これだったら雪が積もっていたほうがまだまだどんなに楽かと…。

「わたしは、札幌や箱館では暮らせないな」などと、勝手な想像をめぐらせてのおしっこタイムでした。

 もっとも、はいていた長靴の底にも問題があったのかもしれないが、アイスバーンがこれほど怖いと思ったのはそんなに何回もあるものではない。

 大晦日寒波がやってくるとの気象予報。
今年も後二日。
何事もなく無事に新しい年が迎えなれるよう、できるだけおとなしくしていよーっと…
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by wappagamama | 2010-12-30 01:59

箱館日記その10「妙子がけんかしてる」


 箱館二日目、午前10じOちゃんがホテルまで迎えに来てくれた。

 中島監督と、ドライバーボランティアのNちゃんと、わたしとエルモの計5名さまご一行は箱館寛弘と昼食を目的に出発。

 行き先は私にもわからない。

小春日和の気持ちのいいお天気
久々の潮の香りを感じながらも、車中はなんだか二日酔い気味の殿方?…
でもでも 「タフ!」 若いってすばらしい!
思い出してしまった、Oちゃんが我が家に泊まった日、明け方まで飲んでいて、翌朝けろっとしていたのには驚いた。
朝風呂に入りどんぶりめしをおいしそうに食べていた姿が忘れられない。
飲みながら盛り上がった調子で我が家の息子が、Oちゃんを山形の酒田まで送っていく話をしていたはずなのに?…。
その息子は完全に二日酔い!
我が家の息子も決してアルコールは弱いほうではないのに、Oちゃんとは全く比べ物にならないようだった。
10歳の年の差なんだろうか?いや そうともおもえない。

 そんなことを車中で話しながら、ついたところは山の近く赤川の喫茶店「えん」(あえてひらがなで書きます)

車から降りたら足元は玉砂利が敷き詰めてあり、建物も木をふんだんに使ったすてきな雰囲気だと話してくれたのは中島監督。
周囲が大きな窓ですばらしい山の景色に包まれているとか…。
まるで映画のワンシーンの中に身をおいている感じがする。
玉砂利の音・木材の香り・自然の景色・そこへ運ばれてきたコーヒー。

 ベトナムコーヒーっていったかな?…
カップの底に練りミルクが入っていて、その上からドリップでコーヒーを落として飲むといった初体験。

 なんでも新しいもの好きなわたしの選んだそのコーヒーがどんな香りかな?…

カップの底のミルクをよく溶かしてと聞いたとおりにスプーンで円を書いた

 スプーンがカップの内側に触れたとたん!
なんともいえない音がした。
カップの内側がでこぼこして突起ができている。
しかも、スプーンの素材も違う。
コーヒーの香り・練りミルクを溶かすことの意識より、そのカップとスプーンの触れる音のほうが気になって仕様がないわたし。

 「ね ね ねー?  聞いて 聞いて Oちゃんきいて?  ほら? この音かわいくない?」
 「あ ほんとだ いい音するね?」とみんながその音に注目。

 その様子を見ていたお店のオーナーさん「そのスプーンは鉄でできているんですよ「
なるほど、重みといいデザインといい今までに出会ったことのないもの。
カップのほうも、少し分厚くて、ごそごそしているけど、外側と内側の触覚がぜんぜん違う。
その内側の突起があるため鉄のスプーンと触れたときに出る音が…。
「あぁー 欲しい! このコーヒーカップが欲しい」
「だめだめだめ そんなこと いっちゃだめだよ」
と妙子と妙子がけんかしてる。
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by wappagamama | 2010-12-19 11:31

箱館日記その9「Oちゃんていう人」


 今週は箱館・週末には大阪・そして週明けには栃木 はたまた東京と、ひとつきのうちOちゃんはどれだけ全国を飛び回っていることか…。

  イベント会場での司会進行・講演活動・その企画運営・作品製作・などなど、たった三日間一緒に行動をともにしたというだけで、神業的な荘厳さを感じた。

 私自身の世間が狭いということもあろうが、長年生きてきた中で、これほどまでに濃密で、広範囲な活動をしている人には出会ったことがない!。

 活動範囲が広いというだけだったらどこにでも五万といるとおもうが、その周囲を取り巻く人々に幸せと夢を与え、会場をひとつにしている。
いや 会場だけではなく、それは未知数!
 こんな言葉では伝えたいことが表現できていない。
あぁー どんなふうに表現したらいいか…。
今 自分のボキャブラリーのなさにジレンマを感じている。

 そんなイベントの真っ最中にもかかわらず、何気なく次のイベントの打ち合わせをしていたり、たとえば、ミュージックサインと表現していた、映画上映の際の手話は、全身で表現しているようだった。
その役目を担当している女性との会話。
Oちゃんが自分で飛んだときのパラグライダーの音(MDに録音したものなのか)「ブルーンブルーンブルン」と音を聞かせながら、「これを全身で表現して」とひとことふたこと伝えると、聞いていたその女性、ちょっと間を空けて「ハイ わかりました わかりました」となにやら体を動かして踊っているような雰囲気。
Oちゃん「OK?」その女性「はいOKです」と
ふたりの打ち合わせは成立。
 ほんの1・2分の出来事だった。

 しかもそれは、これから、Oちゃんと中島良監督と私の3人で、お客様に挨拶をするというスチェーションのなか。
お友達のピアノ演奏のBjmの中でのいい雰囲気…。
スタッフも観客もみんなひとつになって・それぞれの立場でそれぞれが楽しんでいる、誰も彼もがみんな仲間!
 「かあちゃん 時々マイクが回っていくかも知れないからね?」とひとこと言われていただけで、わたしもその場の雰囲気にすんなりと乗ってしまったのは、やはりOちゃんの不思議な力なのかもしれない。
 いつもOちゃんは自然体!、話す言葉も全てアドリブ。
気負わず・でしゃばらず・知ったか不利なども全くしない。
スタッフを盛り立て・参加者を引き込み・そして本人はいつもあっけらかんとしている。

そのくせ、時々スタッフに、「だれそれさんどこにいる? 誰かと一緒? 寂しそうにしていない?」と聞いている。
これにはわたしも驚いた。
目が不自由だと、自分から誰かを探して話かけるということが苦手、そばに誰もいないで独りぼっちになると不安になる。
そんな思いをさせないように気配りをしていたOちゃん。 
そういえば、初めての会場なのにわたしの傍にはいつも誰かが話しかけてくれていた。
一番多かったのが中島監督、中島監督はOちゃんの弟のようにいつも見のまわりでかいがいしくサポートをしてくれていた。
お互いが「Oちゃん」良君」と呼びあって、とてもいい雰囲気。
最後にはわたしも「良君」とよばせていただいたり、Oちゃんなんかわたしのことを「かあちゃん」となっていた。

わたしが帰省する日、Oちゃんと良君は大阪に飛んだ。
無事に家に着いたことを電話したときには、すでにOちゃんたちは大阪空港だった。

大阪にはOちゃんが企画しているもうひとつの目的があったようだ。
それは「映画制作」
数ヶ月前Oちゃんからその話は聞いていた。
でも それがもうすでに、実行していると聞いてまたもやびっくり。

何処まで広がるOちゃんの才能!
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by wappagamama | 2010-12-18 13:29

にいさんのお手伝い 銀世界のなかでおおはしゃぎのエルモ


 昨日の朝、すでに10センチほどの積雪量、スコップで除雪しようとしたがそのスコップがまだ小屋から出てきていない。

 仕方がないから2階の同居人に声をかけて、除雪作業を頼んだ。
早速下りてきて作業開始してくれている。
雪は尚もしんしんと降り注いでいる。
周囲の景色が一遍し、汚れたものも、散らかっているものも、泥だらけになっているものもぜーんぶ真っ白に包み込んでくれた。
雪が積もるまではなんとなく落ち着かないが、いっそのことこんなふうに雪景色になってしまった方がなんとなくほっとする。

 にいさんが除雪作業をしている姿を目で追っていたエルモだったが、「エルモOK」のわたしの支持で、大喜びで飛び出していった。

にいさんの除雪作業の周りを飛び跳ねるようにしてはしゃいでいる。

ノーリードで出してしまったことを不安に思い、「ちゃんとエルモに声をかけててね」とひとこと添えて。

 3・40分ほどかけて駐車場の奥まできれいに除雪を済ませてエルモも一緒に「ただいま~」
うれしいうれしい兄さんと一緒にエルモもお手伝い。
はしゃいではしゃいでご機嫌ご機嫌。
運動不足解消! エルちゃんもにいさんも…
冬はこれができるからいいね~ エルモ…?。



一日一杯降り注いでいた雪は、夕方までにまた4・50センチも積もってしまった。
外出から返ってきたにいさんがまた除雪に取りかかっている。
モノオトヲキイタエルモは落ち着かない。
「遠くにいったらだめだよ にいさんのそばから離れるんじゃないよ」と言い聞かせてまたエルモは銀世界へ飛び出していった。
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by wappagamama | 2010-12-16 16:32

情報誌から「バリアフリー上映映画の社会現象」


バリアフリー版良質な映画探る 字幕・副音声、監督自ら制作
2010/12/13  
 視覚や聴覚に障害のある人と健常者が一緒に楽しむ「バリアフリー映画」の研究や上映が広がっている。監督ら映画の作り手自身が字幕と副音声を手がける試みも始まった。
 11月26~28日、ユニークな映画祭が佐賀市で開かれた。「バリアフリーさが映画祭2010」。視覚・聴覚障害者のために副音声・字幕がついた9作品を上映した。中には12月公開の邦画の新作「武士の家計簿」や「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」も。健常者の映画ファンもバリアフリー版“プレミア上映”につめかけた。
 「副音声・字幕付き映画を、障害者だけの特殊な作品と考えるのもバリアー(障壁)だ。健常者も一緒に鑑賞できるスタンダードを目指したい」。そう語るのは同映画祭の総合プロデューサーで、映画製作会社シグロのYT郎代表だ。08年に映画プロデューサー、福祉関係者、大学の研究者らと「バリアフリー映画研究会」を創設した。
 これまで副音声・字幕に関する研究や基準はなく、ボランティア個人の工夫に頼ってきた。これに対し研究会は、映画の作り手である監督やプロデューサーとの共同制作に着手。同時に障害者モニターの意見を反映し、健常者、障害者双方にとって良質なバリアフリー版を模索してきた。
 映画祭で上映した「おくりびと」は成果の一つ。元チェリストが主人公の同作は、劇中で流れるクラシックの名曲が重要な役割を果たす。当初、研究会では文字情報が増えると読みづらいと考え、曲名を字幕に入れなかった。
 だが、大人になってから聴覚障害をもった人から、冒頭に流れるベートーベンの交響曲第9番「歓喜の歌」は、曲名を入れてほしいとの声が寄せられた。生の喜びという作品の主題にかかわり、鑑賞の深さに影響するからだ。この声を受け、全曲名を字幕で記すことにした。
 同作の滝田洋二郎監督は「情報を加えてより多くの人に映画が届くのなら大歓迎。それでオリジナル版が損なわれるわけではない」と話す。
 さらに積極的に携わるのが東陽一監督だ。研究会に加わり、自作「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」の副音声と字幕をすべて自身で書いた。「副音声や字幕を、映画の新しい表現形態ととらえている」と語る。過去にも無声映画がトーキーに、白黒がカラーになったように「将来、字幕や副音声が当たり前の表現になる可能性もある」。
通常の副音声は障害者がイヤホンで聞くラジオに電波で送るが、研究会の副音声は健常者にも聞かせる意図のもと、スピーカーで流す。高津戸めぐみ支配人は「私たちが聞いても邪魔にならない。こういう質の高い副音声なら取り入れたい」と言う。
 現状では、邦画業界はバリアフリー映画に熱心とはいえない。09年の邦画448本のうち、公開時に字幕がついたのは52本。副音声・字幕つきは2本にとどまる。制作コストに見合う収益が見込めないのが普及しない要因だ。
 だが、研究会の一員で視覚に障害のある東京大学先端科学技術研究センターの大河内直之・特任研究員は「テレビ番組の字幕は、高齢者の予想外の支持で急速に広まった。同じ現象がきっかけ一つで映画にも起き得る」とみる。
 独自に新作映画の副音声・字幕制作に取り組む特定非営利活動法人メディア・アクセス・サポートセンターの川野浩二事務局長も「バリアフリー映画は高齢化社会の一つのマーケットになる」と話す。
 同法人は今年5月から、東京のテアトル蒲田、蒲田宝塚の2劇場で、封切り作品の上映中に副音声・字幕をラジオや携帯端末などで提供する実験を始めた。「今の映画を、今見たい人に届けることに意味がある」と川野氏。他の劇場にも広げる機会を探っている。
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by wappagamama | 2010-12-14 16:45

視覚障害者の情報誌から「HPをもっと優しく…」


 日ごろ、覗いてみたいHPやブログがあっても、目の不自由なものに撮っては思うように理解できないもの・写真の閲覧が多かったり・図形が多かったりしてその画面がどうなっているかわからないものが多い。

要するに、視覚で楽しむHPやブログが一般的となっているので、見タイと思って覗いても結局興味が失われてしまってあきらめることが多い。

 折角、情報のバリアフリーのPCを使いこなせるよになっても、HPの形態や作り手の思考によって、そこからはバリアーの壁になってしまうことが多い。

そんな中、まさにわたしの思いを代弁してくれているような記事を見つけました。

以下、本文です一部抜粋

相模原市 視覚障害者にも使いやすいHP 利用者招き勉強




2010年12月13日 
 視力が不自由な市民でも使いやすいホームページ(HP)を目指し、相模原市は視覚障害40件者から直接意見を聞き、HPの改善に取り組んでいる。暮らしに深く関わる情報が載る自治体のHPは、視覚障害者にとって、貴重な情報源。市の担当者は「幅広い人が使いやすいHPを目指したい」と意気込んでいる。
 視覚障害者がパソコンを利用する場合、画面上の文字を読み上げる特別な音声ソフトを使うのが、一般的な操作方法。音声ソフトの補助により、慣れれば一人で操作することができる。
 相模原市視力障害者協会会長のYYさん(69)は、「音声ソフト付きのパソコンなら、一人で手軽にインターネットやメールができる。パソコンは情報収集やコミュニケーションの貴重な手段」と強調する。
 2002年の段階ながら、総務省の調査でも、視覚障害者は健常者よりもインターネットの利用率が高いというデータがある。
 市広聴広報課によると、市のHPは、高齢者や障害者が使いやすいための基準であるJIS規格に沿って作成していた。しかし、視覚障害者から直接、使いやすさなどの意見を聞いたことはなかったという。
 このため、10月に市の担当者が、視覚障害40件者から意見を聞く勉強会を開催。参加者が使う音声ソフトを用いて、実際に市のHPを閲覧した。約2時間の勉強会では、「読み上げに時間がかかるため、トップページの情報量は必要最低限でいい」「画像を読み上げたとき、どんな画像か分かるように解説をつけてほしい」―などの指摘があった。
 担当者の市広聴広報課・SHさんは、「音声ソフトを使ったパソコン操作を実際に体験したのは初めて。利用者の生の声を聞き、ストレスに感じやすい点などに気がついた」と収穫を語る。指摘を受けた点のみならず、さらなる改善に取り組んでいる最中だ。
 Sさんは「自治体のHPは、視覚障害者にとって、信頼できる貴重な情報源。今後も意見を生かしてもらえたら」と期待を寄せる。
 情報のバリアフリー化を推進する総務省地域情報政策室は「利用者側に歩み寄ることは、誰でも情報を共有できるアクセシビリティという観点から良い取り組みだ」と評価している。
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by wappagamama | 2010-12-14 16:21

箱館日記その8「エルモが危ない」


 箱館最後の夜は、わたしの恩師、A先生ご夫妻との夢のような晩餐会。

到着当日を含めて3日間にわたって開催された、「ユニバーサル映画祭」と、「中島れんばい横丁を元気にする会」の全てのスケジュールがあっとゆうまに終了した。

28日は箱館最後の夜。
午後からの列車で帰ろうと思えば帰れないことはなかったのだが、どうしてもお会いしたい方がもうひとり。

 卒業以来11年目、初めて箱館伊犁をしたのにこの先生にお会いしないで帰るわけには行かない。

先生は、センターでの教務課教師として、東洋医学研究会のクラブ活動の顧問をされていた。
しかも、4・5年生のときの教務課の担任としてもお世話になっていた。

3年生の受験間近にして、帯状疱疹で苦しんでいたときに、N先生から「経絡治療」を施していただき、そのご経絡治療のとりこになってしまったことは、今までに何回か書いた。

 経絡治療の神秘に目覚めたわたしは、N先生のような治療かになりたいととてつもない夢を抱き始めていた。


その後のわたしは、身の程知らず野猪突猛進型と化した。
経絡治療を自分のものにするには恥じも外聞もかなぶり捨てた(?)チョット大げさかな?
N先生の治療院に弟子として押しかけたり、全く他人のお宅に宿泊させていただいたり。
それも食事つき送迎つきしかもびた一文の金など要らないと、一ヶ月間に渡ってそんなことができたのも、今回お会いしたA先生のお力添え亡くしてはありえない。

 それだけにとどまらず、「東洋針医学学会 函館支部」本部は東京全国組織に支部があるが、中でも箱館支部は本部からも注目されるほどの優秀な支部だった。

当時のS会長の腕は本部からも認められるほどだった。
そこの副会長をされていたA先生は、わたしを聴講生として会に誘ってくださった。
まだ学生のみということと、会費の免除など色々ご配慮を頂、箱館3年間「東洋鍼医学学会」で学ばせていただいていた。

放課後のクラブ活動では本当に手取り足取り、取穴法(しゅけつほう)・基本刺鍼・脈診・腹診と「小里方式による手から手へ」ときめ細かに指導していただいた。

 経絡治療のなんぞやもしらづに入門したがいいが、全くの素人。
こんなわたしが何ができると言うのだろう…。
毎回毎回「わからない「何がなんだかさっぱり理解ができない」苦しみの中でもあきらめることなく、夢を追い続けた。

そこからスタートしたわたしだったが、今日あるのはA先生とN先生のお陰。
大変残念なことに、N先生はご逝去されてお会いすることができなかった。
せめて、お線香だけでも、と願ったのだったが…。
どうしてもお会いできなかったか多がもうひとり、「個人情報保護法」とやらの壁にぶつかり、その先はお知らせできませんと、なんと固く冷たい壁なんだろうとツクヅク感じた。


そんなこんなの色々あったが、A先生とはなんの障害もないどころか、先生の方から、「あなたの時間に 合わせますので、ゆっくりお食事でもしましょう」と時間を作っていただいた。
倉庫街にある、レンガ館での暖炉が燃えている素敵なお店でのA先生と奥様の会話は尽きることがなかった。
もの静かで口数の少ないその先生は、「あ そんなこともありましたね」とニヒル風に相槌をうちながら、嗜好品の日本酒を楽しまれていた。

どちらかというと奥様との会話に花が咲き、楽しい時間をすごすことができた。

 その間、エルモは先生方の足に顎を乗せたりしながら寝息を立てていた。
「ホテルで少しエルモと遊ばせてもらいましょ」と先生。

先生の愛犬「メルちゃん」は今年13歳で亡くなった事「夫婦二人でペットロスをやっていますよ」と静かに話してくれた。

ホテルの部屋まで送ってきてくださった先生たちは、エルモのハーネスを外し、リードを外し、洋服も脱がせてしまい、さっきのニヒルはどこへやら…。
「アちょうかい ちょうかい ちょうだったんでちゅか おかあさんを箱館にちゅれてきてくれたんでちゅか」「いいこでちゅね いいこでちゅね ちょうでちゅか ちょうでちゅか」

お二人ともご自分のあいけんとかさなってしまったようで、鼻水をすすりながら、延々と3・40分続いた。

あっけに取られてしまって、ベッドの上で固まってしまったわたし。

「 こんど来たら家に泊まりなさい、ホテル代くらいわたしが持ちますよ」と…。
でも いいのかなー? エルモが危ない 
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by wappagamama | 2010-12-12 19:29