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湯沢市雄勝郡視覚障害者福祉協会 定期総会迫る!



 今年もいよいよ視障協の定期総会が間近となった。

 総会の準備もほぼ整い、あとは最終人数確認をして、会場へ連絡をすればOK。

総会時の最大の仕事はなんといっても資料作成。
その点、我が視障協の事務局は優秀な人材なので本当に心強い。
 総会資料も墨字版と点字版のふたとおり、 もうすでに作成済み(?)

点字版といえば、これまたいろいろあって今年は県の視障協事務局で作成していただいた。
以前にも点字版のことを記事にしたことがあるが、その後もいろいろあって、湯沢市で購入していただいた点字プリンターがいまだに使用不可能。
いや もしかしたら、今ごろは可能になっているのかな?
取りあえず今年の総会資料の作成には間に合わなかったけど、今後に期待しよう?…。

 長年にわたって点字資料は副会長の手書きでがんばってきた。このことひとつとっても「自分たちでやれることは出来るだけ自分たちでやろう」精神のあらわれ。

 点字資料と簡単に言っても、数ページの資料数人分、一枚一枚手書きするのだからその作業は何日もかかる。
しかも、わたしのような中途失明者にはまずもって無理な仕事である。

 年々事業内容も豊富になり、資料のページ数もかなり増えた。
こんな状況下、点字資料を手書き作業では無理なこと。
そのための点字プリンターだったのに、頭を悩ませた我が事務局が頼み込んだところが「県の視障協!
全国盲人連合会「日盲連「の秋田帯回を目前に控えて超多忙の中にもかかわらず、その作業を受託していただいた。
なんとありがたいことか…。

  あれっ? 今日は定期総会の案内の記事を書こうかと思ってキーボードを叩き始めたのに?…。
でもま こんな諸事情もあることもご承知おきくださいませ。
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by wappagamama | 2010-04-25 18:17

26日ぶりの出会い エルモはすべてを悟っているかのよう…


 先月の29日に入院して以来、今日で丁度26日目。

今日は、免許書き換え日とかで、外出許可をもらって湯沢警察署まで来た息子が、チョコット 家に寄った。

 友人の車で送迎をしてもらってきたので、エルモは「お客さんかな?」と思ったのか、玄関に向かって待期した。

 玄関の戸が開いて「エルちゃん? エルちゃん?」という声に、エルモは大はしゃぎ!
ちぎれんばかりに尻尾を振って「早く開けて」というしぐさでク~ン ク~ン」と声を出している。
そう その声はエルモの大好きなにいさん。


 喜びのあまりエルモがジャンプして飛びつきやしないかとはらはら見守っていた私。
思いっきりジャンプして飛びついて、やっと歩き始めていわばよちよち歩きのヘルニアさんにショックを与えたら大変と心配しているわたしをよそに、エルモは控えめににいさんの周りをぐるぐると尻尾を振って見上げていた。

 それは まるで、にいさんのことをちゃんと知っているかのように…。
ついこの間までにいさんが腰痛で苦しんでいたことを知っているかのように…。
そして、今もまだ、にいさんの体調は本調子ではないことを知っているかのように…。

 そう この子たちは、人の体調や気持ちを読み取る力を持っているのではないかと思うことがよくある。

 重い病で苦しんでいる患者さんに対しては、そっと近づき優しいまなざしでじっと見つめているとか、うつ病の患者さんに対しても体のどこかにそっと触れてやさしく甘えているしぐさをしているとか…。
そんなエルモのしぐさに患者さんたちは「エルちゃんのそのやさしい目に癒されるー?」と涙ぐむ人さえいる。

「お散歩」ということばには強い反応を示すエルモなのに、「にいさんとお散歩にいってくる?」と私が誘っても、エルモは黙って落ち着いたまま。
「かあさん 何一点の? にいさんはまだだめなんだよ」といっているようなまなざしで私を見ていたのだとおもう。
 そして、ちゃんと腰を治してからまたエルちゃんのお散歩に連れてってね?」

述語今日で18日目。
医学のすばらしい進歩と・優れた技術を持つ先生に改めて感謝と敬意を表したい。

車椅子から歩行器へとリハビリは進み、二日くらい前に歩行器なしでのリハビリを開始したばかりと聞いた。
そして今日は自発歩行での外出。

 院内での歩行と違って靴を履いての外出。想像しただけでも大丈夫だろうかと心配になる。
「足元には充分気をつけて慎重に行動してね」とついついまた親ばかぶり発揮してしまう。

あの斜め45度の姿勢のままで、長い苦しみから脱出できた息子。
その歩く姿は見えなくとも、声が今までより上から聞こえる。
何気ないそぶりで腰を触ってみたら、コルセットで補強してはいたが背筋がまっすぐ!
手術前、腰に触れると「触るな」と不機嫌になっていたのに、今日は触ってもニコニコしていた。
入院時 身長を測ったとき172センチ。
179センチあった身長が腰痛のため7センチも縮んでいた。
いや 縮んだのではなく、曲がった腰がまっすぐにならないので、性格には測れないのだ。

述語、背筋が伸びた 今 身長が元に戻ったかどうかはわからないが、せっかくここまで良くなった腰。
これからしばらくは、その腰と 慎重に体節に付き合っていってもらいたいと願うのみ…。

「エルちゃん バイバイ エルちゃん いってくるね エルちゃん じゃね…」
と まるでそっちの方が親子関係みたい…。
 ほんの十数分ほどの滞在だったが、なんとなんとこの言い知れぬ安堵感…。
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by wappagamama | 2010-04-23 19:26

久々のストレス解消!


 息子の手術後の快復も順調・リハビリも順調に進んでいるらしく、娘ややっちゃんから時折届く情報にやっと安堵している馬鹿親。

「 心ここにあらず」状態からやっと少し脱出できたところで久しぶりに秋田まで出かけていってきた。

  秋田STTクラブの定期総会&懇親会&練習!
午前中は久しぶりに練習で体を動かしてチョッピリだけストレス解消。
昼食後来賓をお迎えしての総会は、参加人数もクラブ発足以来の多さ、活発な意見交換が行われた。

 N会長のクラブに対する熱い思いが約15分間にわたって語られた。
主催者挨拶の観点から見ても、ひそかに学ぶところが多く、話は長くとも魅力的だった。

 障害者スポーツとして秋田STTクラブの活動は年々活発になり、その活動内容も年々充実しているようだ。
どっちを向いても「予算が足りない・しきん不足だ」と耳にたこができるほど聞かされているこんにち…。
クラブ執行部のやる気と情熱が軸となって、障害者スポーツとしては、広く社会や行政からの期待も大きくなってきているのを肌で感じてきた。

 「金は出せないけど」という厳しい現実の中から、「赤い羽根基金」その他の基金等への働きかけ・またはある施設からの廃棄処分用の古い卓球台の払い下げ等によって、格支部にも弱冠ながら卓球台の数が潤ってきた。

 となると、卓球台の数=クラブ会員増加=近場での練習量増加=視覚障害者の社会参加=視覚障害者の健康増進=医療費の減少!!
と夢を広げるのは飛躍しすぎだろうか…。

ともあれ、先ずは自分自身の体調を整えることが先決問題である。
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by wappagamama | 2010-04-21 11:59

10日ぶりの「産湯…」






 「10日ぶりに風呂に入った」の息子のメールで、一瞬にして彼の「産湯」を使ったときのことを思い出した。

 母親なんて何時までたってもそんなものなのだろうか?…と思いながら昔の糸がずるずると手繰り寄せられる。


 彼が生まれる丁度1ヶ月前、産着を作るために私は、湯沢の実家に戻っていた。

丁度そのとき 嫁ぎ先が火災に愛、全焼してしまった。
息子の父親は自動車整備工場を経営していた。
溶接作業中のバーナーの火がガソリンに引火して、工場はあっという間に火に包まれた。
工場の奥にあった住まいも、すべてガソリンの勢いで真っ黒に焼け落ちた。

もし 私がそこにいたら、臨月を迎えて大きなおなかで、その火の中から脱出することはできなかったろう、とみな口々に言っていた。
「実家に帰っていたから命が助かったんだよ」とみなに励まされながらそのままお産を終えて実家に帰っていた。


悪いことは続くとはよくいったもので、嫁ぐ直前に父親を癌で亡くしたばかりだった。
そして更に、13歳年上の長姉も余命いくばくも無い病床で戦っていた。

 そんなときの私の縁談が盛り上がり、少しは亡き父や姉・母に安心させて上げたいという思いが働き、進められるままにわたしは嫁いだ。

そのときの母のことを思えば、世間知らずのお嬢様育ちの母にとってそれまで全面的に頼りにして生きてきた連れ合いと長女を亡くしたばかりで、途方に暮れていたはずだった。

 にもかかわらず、母は、ショックを起こして病気になりやしないかと私のことを心配して「母親になるなだがらな! 赤ん坊が無事に生まれることだげかんがえでいればえがらな!」と 献身的に包み込んでくれた。

 そんな母の祈るような思いが私を変えていった。
「生まれてくる我が子のためにも、強く生きなければ」と心に誓った。
今考えればわたしは若干22歳になったばかりの春のこと。
まだまだ世間など知らない幼いままで嫁いだような気がする。
しかもそのころの縁談としては、それは決して珍しいことではなかった。


  そんな妹をどう思っていたのか、病床の長姉は、私への餞(はなむけ)として、3セットもの「きもの」を揃えてくれた。
そのときの姉の表情・言葉・声そのひとつひとつが今でも鮮明に脳裏に浮かぶ。
「しあわせになれよ」と最後の力を振り絞って励ましてくれたあの姉のことば。

ふたりの幼子を残して逝かなければいけなかった姉の無念さが、心を締め付ける。
その姉は、私が嫁いだ翌月永眠した。

その姉からのはなむけの「きもの」にただの一度も袖を通すことなく、その火災で影も形も残っていなかった。
その事実を知った私は平常心ではいられなかった。

 息子の父親は、整備工場の建て直しのため、夜もろくに寝ないで走り回っていた。
生まれたばかりの我が子を、ゆっくりと抱いてやる暇もなく、夢中で再建に頭を悩ませていた。

焼け跡を見ないほうがいいと強く拒否されて、わたしは現場は見ていない。



今考えれば世間のことはまだよくわからなかった分、息子が生まれたことに幸せを求めていたのかもしれない。
いや 違うな? やはり単純に、我が子がかわいくてかわいくてそれだけで幸せだったよう泣きがする…。
あのどん底から私を救ってくれたのは、無心に私を求めている息子だった。

吹雪が吹き込んでくるような寒い実家での「産湯」を使ったとき……。
お湯がぬるくならないようにと、一所懸命脇からお湯を注いでくれた母。
子の母のためにも、そして無事生まれてきたこの子のためにも、強く生きなければとまだ未熟だった私に力を与えてくれた。
そのときのあの光景が脳裏にはっきりと浮かんだ。
長い間腰痛で苦しんでいた息子。
術後10日目、「10日ぶりで風呂に入った」息子からの、電報のような一本のメール。私の脳裏に一瞬にしてあの「産湯」の光景が広がった… …。
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by wappagamama | 2010-04-17 00:14

無駄な努力におわった「ウンコ出さない作戦」…


 高校卒業後、神奈川へ就職した息子は、そこで腰を痛めたのがきっかけとなり、二十数年間、時折うずく腰痛をだましだましやってきた。

 トンネル工事の現場での仕事は、わたしなどにはちょっと想像のつかないような厳しさがあったようだ。
彼は肉体に限界を感じて、退職したが、退職後も夢にまで見て、寝汗をかいていたと言っていた。

 誰に似たのか、意地と根性だけは人に負けてはいないらしく、 退職後もお誘いの電話はよくあったようだったが…。
体力さえあったら直ぐにでも現場に戻りたいという気持ちがあったようだが、気持ちに肉体がついていかなくて苦しんでいたのも知る由もなく…。

 退職一年目・しばらくゆっくり休んでから仕事を探せばいいと・軽く考えていた。
退職二年目となっても、相変わらず仕事を探している様子がない。
そして3年目に突入。
蓄えてきたものだっていくらなんでも底をついてくるはず。
この先どうやって食べていくつもりなのだろうと、親としては気が気ではない。

多少なりとも日銭の入るわたしではあるが、将来を考えれば不安に押しつぶされそうになっていた。
そして、息子の考えていることがわからなくなり、親子関係は険悪になっていった。
そのころ、息子の腰痛がそれほどまでに悪化していることも知らずに…。
ここにも彼の意地と根性が見え隠れしているのに、気づかない馬鹿母親ぶり。

 このままではいけないと、手術を決心したのがつい数ヶ月前。
出頭に当たってくれた先生方・看護師さん、病質に現れるたびに、「良く今まで我慢していたね! どうしてもっと早く手術しなかったの?」と異口同音。
それに答える息子「おっかにゃくって」と小さな声で迷わず答えていた。

 意地と根性だけはいっちょまえなくせに、臆病に関してもこれまたいっちょまえ!
怖がりという理由の他に、手術に踏み切れなかったもうひとつの理由。
それは、「しもの世話を人にやってもらうことの苦痛」だったようだ。

麻酔が効いているうちに、オムツと導尿の管を装着されているので、おしっこに関しては何の抵抗もなかったようだが、問題はオムツに便をすることに関しては、絶対的に抵抗していた。

 そこで考えた彼の作戦は「ウンコ出さない作戦」 
なにやら妹と枕元でしゃべっている様子。
以前の、職場の先輩からの経験を実践しているようだった。
それは、極力食事を控えることだったようだ。
術後毎日のように37・8度以上の高熱だったため食欲もあまりなかったようだが、それにしても彼の持ち前の意地を発揮し、計画は粛々と(?)遂行されていた。

 いよいよ 待ちわびた4日目の車椅子リハビリの当日。
リハビリノ女性の先生付き添いの元に、といれリハビリノ時がきた!

車椅子に乗って、トイレから出てくるところで丁度私と娘が病院に到着。
一斉に「ウンコ出た?」
息子「出ない」「エッ? なんで?」
でも息子は笑顔。
「酒 のまにゃば 便秘になるなだ」とけろっとしてる。

便秘の理由はわかっていても、あのウンコ出さない作戦はなんだったんだろう?!…。
看護師さんには、腸閉塞になるよと叱られるし…。
あの努力?無駄な努力でした…。

親の心配は何処へやら…。
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by wappagamama | 2010-04-16 15:21

リハビリ生活11日目


「おら 10日ぶりに風呂さ入った」
術後10日目、入院中の息子から届いたメールがこれ… !!。

 術後二日目・三日目・四日目・五日目…と毎日少しずつスケジュールに沿って、リハビリをしていた息子。
それは寝たままで足の指や足首を動かす方法からはじまって、寝返りを打つ方法、寝たままで食事を採る方法。
そして、やっと三日目、上半身を起こす方法。
腰に負担がかからないように、傷口に影響しないようにと、右手の置き方、左手の支え方と、リハビリの先生の指導の元、息子は恐る恐るながら真剣だった。

そしてやっと、上半身を起こしたとき彼の笑顔がはちきれた!
おまけに頭の上で両手で輪を書いた
そればかりか、次はコマネチまでやってのけた!と一部始終を見ていた娘が教えてくれた。
その表情は、まるで中学生のころの兄さんのようだったと…。

 後に知ったことだが、体を起こせれば=自力でトイレへ行ける」と思ったらしい。
あまい!!

 そして四日目、いよいよ待望の車椅子への移動。
刻一刻と彼の気持ちはフェニッシュ!へ…。
今度こそ「車椅子=トイレ!」
「おむつには絶対排便しないぞ!」と硬く決心していたらしい彼は、最小限度に食事を控えていた。
そりゃ 気持ちはわかるけど?…。

いざっ 車椅子でトイレに行ったがいいが?…。
便秘状態!
それを知った看護師さんに「腸閉塞になるど!」と叱られて今度はショック。
日々一喜一憂しながらのリハビリ生活を送っていた彼から届いたメールが「おれ 10日ぶりで風呂さ入った」
風呂好きな彼の笑顔が浮かぶ…。

看病に来ていた娘が、術後5日目で東京に帰り、その後わたしも病院には顔を出していなかった。
その後、毎日のように行ってくれている息子の友人、やっちゃんから届いたメール「順調に快復しているから心配しなくてもいいよ」と…。
歩行器で下まで行ってタバコしてるとかノンアルコールのビールで乾杯したとか…。
ほんとにほんとにありがとう!
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by wappagamama | 2010-04-16 13:05

勇気ある船出に乾杯!



 我が湯雄視障協の会員さんであるAさんが、この度 盲学校に入学することになりました。

 Aさんと出会ったのは丁度去年の4月。
我が湯雄視障協の定期総会に参加してくれたのが出会いのはじまりでした。
イベントのたびにお誘いしていたのに、正直 初参加までは長い月日がかかりました。

21年度の定期総会の初参加以来、Aさんに心境の変化が現れました。
Aさんをお誘いしてくれたサポート会員のSさんからのお勧めで「盲導犬エルモの日記」をくまなく見てくれるようになりました。

 そのころからです、Aさんの「電話かけまくり作戦」がはじまったのは!……(笑い)(いや 今だから笑えるけど…)
その電話のターゲットは私だけではありませんでした
Aさんの興味の追求は半端ではありませんでした。
そのころ、Aさんの電話にお付き合いいただいた皆さん、ありがとうございました。
改めて私からお礼申し上げます。

 その興味の内容は、今となっては何が最初だったかはっきり覚えていないほどです。
あっ そうそう、携帯電話から「盲導犬エルモの日記」を開く方法が一番だったかな?
そして、マッサージ師の資格を取得するには?…。
続いて、盲導犬への興味。
そして、パソコンを覚えたい。
その他、盲学校へ入学してから勉強に必要なアイテムなどなど枚挙にいとまがありませんでした。

 こうやって約1年間の間にAさんは新しい世界を切り開くための準備を重ねました。
そして いよいよ 今日4月12日午前11時から 秋田県立盲学校理療かの入学式に望むため、今朝Aさんは湯沢駅から出発したのです。
夕べその報告のメールが届きましたので、下記に貼り付けします。


^^^^ここから貼り付け ^^^^^


柿崎様 コンニチワ Aです   
一人暮らしで無かったら こんなに大げさに祝福されなくても 良かったのに   
ちょいと 音なしで秋田まで単身赴任のつもりで 行きたかったのに   
田んぼの事 畑の事 家を留守にする事等で   
部落会長や営農組合会長 本家や親せき    
民生委員や何時もお世話に成っているお隣に その旨をお話したら      
今朝 水路の掃除で部落の全員が集まった時に どうやら私の話題が出たらしく  
 
道路ですれ違う人に「気を付けて 頑張れよ」と声をかけられる   
嬉しいような 照れくさいような 3年間 頑張るしか有りません   
それに 湯雄視障協の皆さんからも激励のお言葉を戴き   
本当に有難うございます、   
この年齢に成ってしまうと 若い頃の用に(やり直し)は出来ません   
ヘレンケラーの言葉に   
『閉じられてしまった部屋のドアを無理に開こうとしないで なぜドアの開いている
隣の部屋に入ろうとはしないのかナ』   
この様な引用語有るんだよ と 視障協の人から聴かされた時に   
ヘレンケラーの著書(和約 岩橋武雄)   
「光の中へ」   「私の生涯」   
デイジイ版で この2作を聴いて 解りました   
自分も努力をして 一生懸命に頑張りたいと思います   
明日の朝の電車で 一人で出かけます。


^^^貼り付け終わり ^^^^


上記のメールに対してのわたしからの返信も、ついでに貼り付けしておきます。

いよいよですね おめでとうございます。

決心するまでの時間、決心してからの準備期間とあらゆる努力をして、いよいよ明日
船出ですね。
距離的にはそんなに遠くはないのですが、人生の分岐点として考えれば、大変な船出
だと思います。

今、私も、 50歳を目前にして津軽海峡を渡ったときのことを思い出しています。
まさに、今のAさんと同じ心境でした。
「後戻りはできない!資格を取得しなければ湯沢には帰れない! からっつらでは戻
ってこられない!」というおもいでした。

3年間なんてあっとゆうまですよ…。
なんら変わらない生活をしていても3年間は3年間。
新しい生活を始めても3年間は同じ3年間です。
3年が過ぎたとき、Aさんの生活と・精神と・環境は大きく変わっていることでし
ょう。

でも 「こんなはずじゃなかった」ということに、何度となくぶっつかるかもしれません。
そんなときはいつでもわたしに愚痴をこぼしてください。
いえ? もうそのころにはAさんなりの解決方法を見つけていることでしょうけど
ね…。

そして、3年後卒業し、見事資格取得の暁には、次の大きな夢が待ち受けていますからね。
先ずは、お体には十分留意して、ほどほどにがんばってくださいね。
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by wappagamama | 2010-04-12 15:48

久々にOちゃんの情報が届きました


全国制覇途中でパソコンを紛失してしまったOちゃんの情報がしばらく途絶えていましたが、昨日札幌の友人(?)からこんな情報が届きました。

現在Oちゃんは全国制覇の途中で、地元の函館に戻り、音楽活動を中心にいろいろイベントをこなしているようです。
最新情報としては、ずっこけてあばら骨を折いながらも、ドラムを叩いているとのこと…
相変わらずのやんちゃぶりを発揮しているようです。

 皆様にご協力いただいた『Oチャンカレンダー』の収益金で、下記の音楽CD作成を行うのだと申しておりました。
今後とも応援よろしくお願いいたしま~す。(^^♪



^^^^ ここから貼り付け ^^^

僕らの歌 全国で響け 全盲の大平さんら音楽グループ

僕らの歌 全国で響け 全盲の大平さんら音楽グループ
 全盲の写真家、大平啓朗さんや函館の男性音楽ユニット「りぼん」の
メンバーらが、秋に東京で開かれる障害者ミュージシャンを対象にした
「ゴールドコンサート」(日本バリアフリー協会主催)
の参加を目指している。
曲は大平さんが一人旅の経験を基に歌詞をつづった
「さぁ」。
音楽を身振り手振りで示すミュージックサインも付け、
多くの人に思いを伝えようと
メンバーは練習に励んでいる。

 7回目となるこのコンサートは全国選抜で選ばれた
さまざまな障害のある音楽家約10組がオリジナル曲を披露し、
グランプリを目指す。
企画から運営まで当事者が担当し、
障害者の自立や社会参加の必要性を伝えるのが狙いだ。
プロの音楽評論家らが審査するため、大会のレベルは高い。

 「さぁ」は昨年6月から単独の全国旅行を始めた大平さんが詩を書き、
りぼんの高島啓之さんが曲を付けて同10月に完成した。
大平さんは旅の写真で作ったカレンダーの収益金でレコーディングを計画。
さらに「仲間で作り上げたこの歌をいろいろな人に聞いてほしい」
と発表の場を探していたところ、このコンサートを知って応募を決めた。

 参加メンバーの初顔合わせとなった8日は
早速、曲の音や動きを合わせて演奏練習に取り掛かり、
メンバーの息はぴったり。
ボーカルの高島さんは「函館を伝えたい」と意気込む。

 「そこにみんながいるから/さぁ/ニコッと/会いにいこう」!#
歌詞には明るく、前向きなメッセージが込められており、
大平さんは「目指すはグランプリ。歌詞の意味を伝えたい」と話している。
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by wappagamama | 2010-04-11 12:06

「こころここにあらず状態からやっと脱出!」


 大変ご無沙汰いたしました。

 先月の23日以来、ほんとにご無沙汰いたしましてごめんなさーい。
チョット 「こころここにあらず」状態だったものですから、パソコンに向かう気分になれず、大変失礼いたしました。
にもかかわらず、毎日毎日訪問してくださった愛読者の皆様には、心よりお詫びいたします。


 実は、数年来、生活のすべてを支配されていた「椎間板ヘルニア」が悪化していた、我が家の長男、通称「同居人」が無事手術を終えることができました。
数年間にわたって腰痛の苦しみのため、仕事にも就けず将来の不安を抱えながらもんもんとする日々を送っておりました。
とはいっても、そのことにわたしが気づいたのは去年の夏ごろ。
悲しいかな 彼の顔色や様子が見えない母親の私には、それほどまでに苦しいおもいをしていたことには気づくことができずに、親子共々ネガティブ思考になっていってしまった時期もあり、険悪な雰囲気に押しつぶされそうになったこともありました。

 一度は河原先生の経絡治療を受けて、痛みがなくなり喜んでいたところ、正月のドカ雪の除雪作業によって、再び再発!

その痛みは夜も眠れないほど…。
体を横にすることもできず…
唯一好きな焼酎や肴の買出しもできず…
唯一の憩いであるパチンコにも行けず…

一度川原先生の経絡治療で痛みが取れる経験をしている彼は、そのときはじめて「柿崎妙子治療院」の患者となった。
治療開始数回目、少し眠れるようになった。
その後も真面目に施術を受けるようになった彼は、少しずつ腰痛も軽減され、何より気分が快適になったらしくとても機嫌がよくなった。

 わたしにとっては、腰痛が軽減されたことは元より、彼の機嫌がよくなったことの法が何よりありがたい。(これ本音!)

 患者さんの予約状況に合わせて、毎日の施術はいろんな意味で親子関係も潤滑になってきた。
経絡治療もすばらしい治療だけど、基本的な整形外科的異常に関しては、根本的なところの改善をしなければ再発は免れないことと、祈るおもいで整形外科の受信を勧めた。

 それから数日後、彼は何お思ったのか、床屋さんで頭を丸めてきた。
(施術の際頭部に鍼をしてわかった)
中学生の卓球少年のころの五部刈りのイメージが浮かんだ。
そのころの彼は、いつもニコニコ笑顔がかわいい、優しい少年だった。
あの腰痛で苦しんでいるときの、氷河期のような親子関係が、一瞬にして中学生時代にタイムスリップした感がした。

 そして、一生一代の覚悟を決めたかのように、彼は整形外科を受信した。

 それから役 2ヶ月間、ベッド待ち期間を経て、今月5日無事椎間板ヘルニアの手術を終えた。

担当してくれた先生いわく「相当長い間痛みを我慢していたんだね、ヘルニアの突起も大きかったけど、これからは順調に楽になるでしょう」とのこと。
先生のこの一言で、背負っていた重い荷物を降ろしたかのような安堵感に包まれた。

術後今日で4日目。
東京から駆けつけてきてくれた娘が毎日看病に通ってくれている。
わたしも仕事をセーブしながら彼の顔を見に行っているが、何分にもそばにいるだけで何もできないので仕事に没頭していたほうが気がまぎれている。

何もしてやれないもどかしさと、いくつになっても息子は息子。
やきもきしてもはじまらないことはわかっていても、ただただ順調に回復してくれることを祈るのみ…。

そんな状況だったものですから、ブログの更新が途絶えていたことをお詫びいたします。

 
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by wappagamama | 2010-04-08 17:32