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お誕生日 おめでとう(^^♪


 もう コの頃になると、子供たちの誕生日も何回目だったかはっきりしなくなる。

 だけど 誕生日だけは不思議と思い出すから対したもんだ。

  昨日 東京の娘に荷物を送った。
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大好物のスイカ。
これは父親が生存していたときに必ずといっていい穂と、彼女に送っていたもの。

 そして 蓴菜沼(じゅんさいぬま)に友人が直接行って、買って来てくれた採り立てのじゅんさい。

 大鍋にタップリの熱湯で、ゆであげたそのじゅんさいは、コラーゲンがタップリ。

採り立ての生のうちは、茶色をしているがゆでるときれいな緑に変わる。
コラーゲンが一杯なので、中心までゆだるには時間がかかる。
しかも ゆであがってから、流水と氷で一気に冷やさなければいけないので、結構その作業は大変。

 コラーゲンがタップリなのでゆでるにも冷やすにも気合を入れてやらなければうっかり火傷しそうになりかねない。
グダグダに煮たっている大鍋の中の、じゅんさいをざるの中に移すときがコの作業の醍醐味。

大きいざるのなかに命中すればいいのだが、ちょっとでも、ざるからずれたら大変なことにあいなる。

冷やしてざるに挙げたじゅんさいは、ざる目からコラーゲンがブリブリ染み出して、固まってへばりついている。

こんなふうにして 4キロのジュンサイヲゆで上げて東京の娘たちのところへ送っ
った。いえいえ 勿論自家用の分も含めてだけどね。
早速、豚肉、煮茄子、豆腐、みょうがでじゅんさいかやぎがその晩の我が家の食卓に登った。
 そして 酢味噌和えとコラーゲン尽くしの食卓。
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今朝のわたしは こころなしかお肌がしっとりしているかも? イッヒ
そして、幾つになったか良く分からない娘たちのお肌もしっとりとして潤してくれる事を…
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by wappagamama | 2009-07-31 12:11

斜め45度からの帰還…


川原治療員に通い始めて、昨日で17回目。

そのかいあってわたしは なんとか仕事が出来るようにまでになった。

さて わたしがこのように せっせと大仙市まで通えたのは、何をいわんやわたしの息子が車で連れて行ってくれたからな訳で、 なんだかんだいっても 彼がいなかったらどうなっていたんだろうと思うと、今はただただ 素直に感謝 感謝。

通院10回目の時、彼がこう言った。
「腰が痛いから 俺も鍼してもらおうかな?」 

  鍼治療の大嫌いな彼が、自分からそんなことを言うなんて、よほど痛いのだろうと察したが、それにもまして、通い始めて1回ごとに、わたしが変化していく様子をまのあたりにして、彼は何かを感じ取っていたのだと思う。

 わたしが11回目の施術を受けたときは、彼も川原治療院の新患として、まな板の上の鯉と化していた。

 そのときわたしはある願いを抱いていた。
息子の施術の様子を、ベッドサイドで見学させていただけないものかと…。
でも 川原先生にお伺いを立ててからでなければと、躊躇していた。

 とそのとき、息子と 河原先生がほぼ同時にコンナことばを発した。
「かあさんも そばで見ていれ?」

 息子は 「見て覚えていって、 家に帰ったら俺にやって?」とのこと
あれほど わたしからの施術を嫌がっていたのに、わたしの鍼は全く信用していなかったのに?…。
この心境の変化はたいしたもんだ!と 一人でにんまりしていたわたし。

 そして河原先生も「ンダンダ 柿崎さんも一緒に診て、息子さんさやってけれ?」とのこと。
同業者であり、しかも数少ない同じ経絡治療か。
人によっては敬遠されても当たり前。

その寛大なことばに甘んじて、わたしは早速ベッドサイドに立った。

治療ベッドに横たわった息子は、仰向けもままならない状態。
ましてやうつ伏せなどとは全く持って不可能。
「一番楽な姿勢でいいよ」との 先生のことばにやっとのおもいで左側臥位になった。

その様子を見ていたわたしは、その時はじめて息子の腰痛のひどさを知った。
春ごろから同じ姿勢でしか寝られなかった事。
歩く姿勢も、斜め45度に上半身を傾けなければ、歩けないと話している。

 一緒に暮らしていても、顔色も 姿も、確認できないわたしにとって彼のそのことばは悲しかった。

わたし 「わたしは見えていないんだから、ちゃんと話してよ」
川原先生「んだんだ ちゃんとしゃべらにゃばわがらにゃだ?」

表情も 顔色も 姿も 様子も分からなくて、その上ろくにことばさえも交わすことが無ければ、何を持って意思の疎通を図ればいいのか…。

一緒に暮らしていても、相手が何を考えているのか判らないことは、エモイワレヌ不安に陥ってしまう。

 脈診、腹診、切診と先生の指示に従って、息子の体を触診していたときは、腰の痛みと不安感で彼の体は冷や汗と体温のバランスがひどく悪かった。

 施術も後半に差し掛かったころには、冷や汗も引け、下半身の冷えも整い、全身がサラットふんわりと温かくなった。

 これは 正に全身に気が充実した証拠。
経絡治療の本髄である「気の調整」の効果が明らかとなったことを証明している。

  約数十分の施術を終え、ベッドから降りた息子は、いきなり歩き出した。
そして「あ 体の傾きが大分治った」と足踏みをしている。

 それから 週に二回ほどの間隔でわたしと一緒に施術を受けている。
昨日で彼は7回目。
大仙市からの帰り、ちょっと買い物によった息子は、車に戻って腰を下ろした瞬間「あれっ? 今気が付いたけど、おれ歩いているとき体お斜めにしにゃ出、マッスグ歩いでいだっけ?」と言っていた。

 斜め45度からの苦しい姿勢から、いつの間にか、普通の歩き方に変わっていた息子の声は笑顔だった。

 そして今回川原治療院に通った事によって、その治療効果は色んなところに変化をもたらした。

精神的 身体的に相乗効果をもたらし、お互いが素直に会話が出来るようになり、意思の疎通も潤滑に成ってきた。

 息子は腰痛が治ればいいと思って通っていると思うが、わたしてきには、密かに精神的な安定と潤いを期待していた。

 今回 河原先生のお陰で、わたしたち親子の得体の知れない苦しみから救い上げていただいたことに、こころからの感謝を申し上げたい。
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by wappagamama | 2009-07-31 10:41

真夏の太陽に あいたいよう…


昨日も雨、 今日も雨、ここんとこ毎日降り続いている雨、雨、雨、…。

ここ湯沢は これといった大きな災害は聞いていないが、農作物に対する影響は、色んなところに表れているようだ。

 さしあたって わたし個人的にも大きな影響があった。
今朝 雨上がりを狙って、家の前と駐車場の草むすりをやった。

一週間ほど前にもやったのでまだ大丈夫かなと思っていたが、エルモの排便タイムの際、なんだか足元に生き生き雑草が賑わっていた。

「雨降りが続いていたので雑草の伸びも速いこと」と思いながら、完全装備をシテムタッと草むすりに取り掛かった。

 長ズボンに長袖、靴下、靴、ゴム手袋、つばの広い帽子、最後に虫除けスプレーを振りかけての完全装備。

 一番メインの草むらまでやってきたとき、「ん?」と首をひねった。
なんとそこは 先日むしって積み上げていたところ。
普通だったら渇いてしおれているはずなのに、そこは生き生き雑草天国となっていた。

 むしって積み上げていた雑草たちは、横になっている状態から、先っぽの方がお天道様に向って、水みづしく生き生きと成長していた。

 「あじゃ~?なんじゃこりゃ?」
雨降りが続いていたため、むしった根っこが乾かずに成長を続けていたのだった。
原因はそれだけではない。
前回の草むすりのときも、地面が水分で飽和状態だった。

 その日も雨上がりの曇った日。
熱くならないうちにと気を利かせて要領よく仕事をしたつもりだった。
雨上がりの草むすりは、根っこから簡単にスポスポ抜けて、仕事がしやすい。
な~んて? いい気に成って一気にずっと奥まで全部きれいにしたつもり?、 だった。

どこまでやれるか自分の体力を確かめる意味でも、一気にやれるだけやってみた。
それまでは、チョボチョボと3日もかかってやっていた仕事。
その日目的をクリヤーして、チョット自分の体力に自信が持てて、チョット嬉しい気分になり、そこにいた息子に報告したくらいだったから…。
そんな 何気ない会話に、 何気なくあいづちを打ってくれた息子の笑顔がこれまた嬉しくて…。(タンジュ~ン エルちゃんよかったね~? かあさん頑張ったもんね~?)

 とまぁ~ そんな単純馬鹿親をやっているわたしではあるが、実はそのバカさ加減は他にも立派にあった。

それは、雨上がりスポスポ抜けていた根っこの周りには、水分のタップリ含んだ土がこれまたタップリと付着していたのだった。
それに 連日の雨。
なんと 雑草を立派に移植してあげていたようなもんだった…。
今日は違うよ! 今日は全部土を落として積み上げたからね。


そういえば、さっき来た昆布売りのかあさん「あらら がんばるんしごど~ こんた 雨の日はつぢちできて大変だ女~」っていってたっけ?…。な る ほ ど…
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by wappagamama | 2009-07-30 18:59

コンナ記事が…


日本最初のハーネス発見 大分で戦中の盲導犬が着用 (07/28 20:13)

日本最初の盲導犬が身に着けたハーネス(手前)=28日、
東京都渋谷区の日本盲導犬協会

 日本最初の盲導犬が身に着けたハーネス(胴輪)が、
大分市の民家で見つかった。
日中戦争で失明した軍人の社会復帰を助けた盲導犬のもので、
日本盲導犬協会が28日、発表した。

 協会などによると、日本で初めて実用化された盲導犬は、1939年に
ドイツから輸入された4匹のジャーマン・シェパード。
ハーネスは4匹のうち「リタ」
という名の雌犬が使用したものという。
革製で、構造は現在のものとほぼ同じ。

 リタは富山市の戦傷失明者から、大分市の安部米吉さん(故人)に譲られた。
中国戦線で砲弾の破片を受け失明した安部さんを、
農作業現場へ誘導するなどしていた。
終戦直後の混乱期に病気で死んだという。

 設立40周年を記念し日本の盲導犬の歴史を調査していた同協会が、
安部さんの遺族がハーネスを保管していることを突き止めた。
寺山智雄専務理事(41)は
「貴重な発見。ハーネスは盲導犬とユーザーの心をつなぐきずなで、
遺族は大切に保管していたのだろう」
と感慨深げだ。

--おわり
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by wappagamama | 2009-07-30 08:37

看護学院にて STT&盲導犬ふれあい活動



        《STTクラブ普及活動イン横手

 7月16日秋田県立衛生看護学院(所在地横手市)において第3回STT啓発活動を実施しました。
 障害者スポーツ協会主催の「ふれあい交流事業」でサウンド テーブル テニ
ス(STT)を取り上げてもらえるとのことで、コーチ2名、部員6名が、はりきって参加しました。
講義内容は「視覚障害者の誘導について」、「盲導犬
と出会ったら」、そして、体育館ではSTT体験と意見交換を行いました。
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 33名の学生が集中し静かに聞いてくれるので、緊張して話しました。
しかし、休憩時間にSTTで友人同士と遊んでいる姿に「若者達のエネルギー」を
感じました。
私は、横手の風とエネルギーを身体一杯吸収してきました。もちろん横手焼きそば」もご馳走になってきましたよ。
(秋田県STT・c S・T《

以上 秋田STT・c(クラブ)
普及啓発部長 S・Tさんの記事をご紹介しました。


秋田stt・cの活動の一環として、普及啓発活動がある。 
近年はその活動回数も ぐんと多くなり、今年はこの 看護学院を数えれば、8回の実施と成っているとか。

 会場が横手だったという事もあり、この日は たまたまわたしもエントリーされていた。
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正直 体調の不安も合ったが、数ヶ月前(すうかげつまえ)に引き受けたお話だったので、今更ドタキャンするわけにもいかないし?…。

 多勢で出かけていくのだから、みんなの流れに乗ってそれなりにまみれていればいいかな?位に気楽な気持で出かけて言った。
 その学院は、洋風建築の雰囲気の、真新しい広々としたとてもステキな学院。

 質疑応答のような形で、時々マイクが回ってきたときに話をすればいいのかなと思っていたので、前もって話すことは何も考えていなかった。

イベントの流れも自分の役目も、聞いていたかもしれないが、わたしの頭ノ 中には何も入っていなかった。
というか、取り合えず行けば何とかなるかなどと無責任なわたしだった。

そこは いわば大学教授が講議デモするような、立派な教団と教卓とスタンドマイクがセッティングされてあり、その雰囲気になんだか 「やばいな」と感じ始めた頃にはもう すでに 手遅れ。
10分間の持ち時間と言われて、いきなり紹介されて教団に誘導されたが、頭の中はカラッポ。

 話の内容をくみたてていなかった状態でのそのスチェーション?
口から出任せ、なにをいいたいのかも判らないままに、ただ無駄に時間が過ぎていくだけ。
気が付いたら「時間です」と言われて、結局話の内容は知り滅慄。ガッハハハハー 

 折角のイベントの 足引張りを しに行ったような物。(ごめんなさい)
盲導犬の件に関しては、会長のSさんがいてくれるので、基本的なこと・模範演技に関しては、お任せしておけばそれだけで何も言う事はナ位と思っていたので、わたしは 最初っから補助的に行動すれば言いと思っていた。
だから 目立たぬように 騒がぬようにそっと控えめに慎ましやかに(?)…。

 といいつつも、わたしのリュックの中には、しっかりと2通りのリーフレットが入っている。
一枚は勿論 「町で盲導犬を見かけたら…」。
もう一枚はこれまた何処へでも持参している、「わっぱがままと「盲導犬エルモの日記」。 

 だが 最初の方は、責任者のOさんが前もってコピーをして準備してきてくれていた。
もう 一枚の方、「盲導犬エルモの日記」のリーフレットはいわば私個人的なもの。

 ここで 勝手に配ってもいいモノ化と躊躇していた。
今回の主催者は、障害者スポーツ協会。
わたしたちSTT・cは協賛。
その中のわたしは単なる参加者。
そんな立場で私的なリーフレットを配ることは、やはり遠慮しようとおもったが、たまたま隣り合わせていた、会長に、そのことを耳打ちしてみた。
が、やはり 、ズーズーしいことだとおもい、再びリュックにしまいこんだ。

 が、イベント終了後、その会長、「柿崎さん、さっきのリーフレットどうした? どれどれ貸して?」とわたしからそのリーフレットを受け取るとさっとどっかへ消えた。 

 そして再び戻ってきたその会長「折角持ってきたんだから、校長に渡してきたよ」と言ってくれた。
なんだかとても恐縮しつつも、うれしはづかし落ち着かない気分。

 自分が個人的に頼まれていった先にだったら、それは堂々と出来る事だが、今回の場合はチョット会長さんに悪い事をしたカナと、反省している。

 と あれこれ、悩んでは診たが、その後の訪問者数に全然繁栄していない事にこれまた 改めてビックリ!

 こんなこともあるもんだと、マタ新たな複雑なおもいに考えさせられているわたし。(わらい)
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by wappagamama | 2009-07-24 08:55

十人十色 反応も人様々 「写真添付部長さん」編


 主たる内容の話より、前置きの長いわたしの記事。
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 タイトルとは、ドンドン違う方向に流れていってしまうわたしの記事。

 結局 何がいいたかったのか、何を伝えたかったのか、よく 判らなくなってしまうわたしの記事。

 でもでも キーボードを叩き出すと、頭の中が一杯に成り、動かしている指が追いつかなくなってしまう。
それを 早く書いてしまわなければいけないと いう気持になりあせって書いているので、誤字脱字・変換ミスがはなはだしい。

 しかも 国語力のはなはだ乏しいわたしは、文法もことば使いもメッチャクチャ。

 それなのに それなのにそのくせ、視覚で画面を見て読んでくれている人のことも気になっているわたし。
段落の感覚を変えてみたり、行間を変えてみたり、目で見ている人たちへの気配りなどもしているつもり?…(意味ナ位かな?イヒ)
どのようにしたら見やすいか教えて下さい。


画面上の事も、レイアウトの事も、模様や色彩の事も、文字の大きさや字体や飾り文字などのことも、本当はもっと自由に遊べたらイイナと、憧れてはいるのだが…。
 でも それは 舛の無い子と…。

 が! その代わりといっちゃなんだが…。

視覚障害者のブログでありながらも、普通のブログと何ら代わらない、視覚から訴えている華やか(?)で美しく(?)そして超かわいらしく画面を飾っているものがある。
そう それは 沢山の写真たち!。


目の不自由なものがどうやって写真を写し、どうやってブログにアップしているのか、アップする写真はどうやって選んでいるのかなどなど不思議に思いませんか?

 今日は その種明かしをしましょう。

 実はマイブログの製作に関しては沢山の力強い陰の応援団がいるのです。


先ずは 写真を写してくれル 人。
そしてその写した写真の中から、見るに耐えられるような(?)写真を選んでアップしてくれる人。 
そう それが マイブログノ、力つづよーい、陰の協力者、写真添付部長さんなのである。
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そのやり方をチョット箇条書きします。

1」まず 周りにいるだれかれと無く、わたしの携帯電話で写真を写してもらう。

2」マい携帯に保存しておいた写真を、添付部長にメール送信する。
(  送信するメールは保存ボックスに入っているもの全て。 なぜなら どの写真がいいか、自分では選ぶ事が出来ないため)
  だから 受け取った添付部長の仕事は重大!且つ 大変! 何十枚もの写真がどんと送られるので、…(ごめんなさいm(__)m)
  しかも わたしの携帯からだと、シャメールは1枚ずつしか送信できない。

3」気の向くまま、言いたい放題、書きたい放題勝手にドンドン記事を投稿。

4」その記事を見てくれた添付部長、記事の内容に添って、選んでくれた写真を添付してくれる。

5」ただし 添付した写真は、 当然音声では何の説明も無く、意味不明の記号番号がズラズラと流れるだけ。
  どんな内容の写真が添付されてあるのかは、音声対応者にはサッパリわからない仕組みとなっている。
  だから よほど信頼関係が無ければ頼めないし、引き受けてもくれない事は確か。

 だって?… 信用問題にも関わるしーぃ?…うふふふ
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 添付部長自信もふたつもブログを持っているくらいだから、何と言ってもセンスがばっつぐ~んだし~(ドッコイショット)

お陰でマイブログの視覚的魅力を、ぐ~んとドアップしてくれている、添付部長さんです。
わっぱがままのためにも、健やかなる日々をお過ごしくださいますよう…。

今後とも 何卒宜しくお願い致しま~す。
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by wappagamama | 2009-07-21 19:46

十人十色 反応も人様々 「Sさん」編のつづき


 Sさんのこと あんなに長編で書いたのに、まだなんだかスッキリしない。 

 余計な事ばかり書いて、肝心な事が抜けているような、なんとなくモヤモヤ感が残っていた。
でもその原因が、なんなのか判らないままに投稿してしまった。

 夕べ真夜中にフッと目覚めて、深夜便を聞くでも無く ボーッとしていたら、突然閃いた。

 「そうだ! やはり肝心な事が抜けていた」
「言いたかったのは これだったんだ!」と思ったら、安心してマタ 朝まで眠りに付いた。


 5年前に出会ったSさんとTさんは、くしくもわたしと同い年の同じ女性。
SさんとTさんは、第一線で活躍されている議員さん。
いわば バリッバリッ のキャリアウーマン!。
最初っから わたしなんかとは頭の切れが違う!。

 そこへ 大会会長などと肩書きだけの、初体験のわたし。
頼りにしているのは 大会 実行委員長のKさんだけ。

このKさんは前会長として、一から十までなんでもかんでも、自分ひとりでこなしてきた人。
 だから 内輪の事に関しては誰もが信頼する実力派。

 このKさんの苦手とすることは、ただひとつ 「人にものを頼む事」(かな?)
だから ボランティアさんとの交渉に関しては、ほとんどわたし任せ。

 そんな状況下での ボランティアさんたちとの打ち合わせ。
大会の流れに関してはKさんがいなかったらわたしにはわからなかった。
だが これほどの大きな大会を行なうのは初めてのこと。
安全に成功させるためには、どうしても 一般の方からの たすけが必要。

事をここまで運ぶだけでも、わたしだけの実力だけではどうにもならなかった。

 そこへ表れてくれたのが、TさんとSさん。
そのふたりのテキパキトした判断力と、言動に目を見張っていたわたし。
同じ年齢で、同じ女性でありながら、今までの生き方が違うってことは、こうゆうことなんだろうな… とわたしは亜全としていた。
そのとき既にわたしは、その人たちの迫力に圧倒されて、自分自身が意味も無く萎縮していた。
そして 自分の無力さに改めて情けなさを感じていた。

 その後もTさんは、わたしの患者としてよく通院してくれているので、お互いの気持がわかるほどのお付き合いをさせていただいているが。、Sさんに関しては、それっきりのご無沙汰だったので、あの時の「迫力」の人がわたしの頭に残ったままだった。

そして 再開を期してお付き合いが始まり、あれよあれよといっているうちに、Sさんのわたしたち湯視協に対するお気持が、ドンドン強まっていくのを感じていた。

 福祉に力を入れてご活躍されていると聞いていたけど、その忙しい中わたしたちのために、一日お付き合いしていただける事は、この上ない有り難い事。

そして 何より嬉しいのは時々わたしのブログも見てくれているということ。
あの時に抱いた、Sさんに対するわたしのおもいは、いまだに痕跡として残ってはいるが、でもそれは わたしにないものを持っている人への憧れと、尊敬のおもいに変化している。
それは、Tさんに対しても同じだが、Tさんとは、直接会話が出来るから色々わかっているような気に成っているけど、Sさんの場合は、わたしのブログを見てくれているということで、わたしの全てを知っていただいているという、なんともいえない安心感を感じる。

 わたしの伝えたかった事はこのことだったのです。
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by wappagamama | 2009-07-20 09:12

十人十色 反応も人様々 「Sさん」編


 最近 チョクチョク チラチラわたしのブログに登場しているこのSさんは、わたしたち湯視協のサポート会員さん。

 羽後町の町議会議員をされていたSさんとの出会いは、湯沢市議会議員のTさんのご紹介だった。

 5年前に行なわれた「第1回STT湯沢大会」のさいのボランティアさんとしてご協力いただいたのが出会いの始まりだった。

 わたしたちがイベントを開催するに当たって、ボランティアさんに全面協力していただくということは、このときがはじめての試みだった。

 正直言ってその時は、ボランティアさんに何をどのようにまた何人ガ必要なのかなどなど、全く わからない状態だった。

 その時にわたしが最初にお願いした湯沢市議会のTさんが先頭に立って、協力者を集めてくれた。

 ボランティアをお願いしたところまではよかったが、何をどうすればよいのか判らないのでは話しにならないと、先ずは打ち合わせをするべきだとTさんの提案。

 Tさんのお声係の社共からと協力者数名とわたしと副会長のKさんの出席の元、その打合せははじまった。

わたしにとっては 何もかもはじめてのこと、しどろもどろのわたしの様子を見ていた、TさんとSさんが口を出してくれた。

先ずは、その大会の参加人数、そして 大会の流れを聞いてくれた。

受付から閉会式まで。
すると、受付には何人のボランティアが必要か、会費納入時には、靴箱、更衣室そして会場にと誘導してくれる人。

 大会開始後は、競技者を対戦コートまでの誘導。
昼食時にはテーブルや椅子をセッティングして、弁当や味噌汁、漬物などの配膳と後片付け。
そしてその間、お手洗いへの誘導や、御茶屋コーヒーなどのサービス。


この他に試合の新光係も必要。
これは常に審判長との連絡を密にしていなければいけない。
タイムテーブルに添って競技者と背番号を照らしあわせて、事前に待期場所まで案内そして。スコアーボードに正積の書き込み、それに何より忙しいのはボール拾い。

協議進行やボール拾いに関しては、中学生が10名ほどお手伝いに来てくれる。

 このようにして大会の流れを刻銘に話したところで、「ハイ それでは 受付に何人、誘導に何人、大会開始後は 受付がいらなくなるから、ここに何人、そっちに何人、飲食の係りと誘導のかかりを決めてそれに責任を持って担当すること。

そこまで話を聞いているうちに、わたしは「さっすがー!」と、まるでジグゾーパズルでも埋めていくように、その見事なやりかたにうっとりしていた。
ところが、ものごとはそんなに単純には行かない。

ところで、その選手団はこの会場まで何で来るの?と鋭い突っ込み。
当初は実行委員長のKさんが、駅まで迎えに行ってジャンボタクシーで会場まで来る予定だった。が、だったら 車で来ているボランティアが迎えに行ったほうがいいんじゃないの。
そして、閉会式後は、二次会会場まで送ってくれて、中には反省会まで一緒に参加してくれたボランティアさんもいた。 


 この時のこの経験がわたしにとって大変貴重な勉強となった。
のちのちにその経験が、どれほど役に立っているかわからない。

といえるようになったのはその経験後のことであって、当初は、ボランティアの頼み方もわからない、ボランティアに何を頼めばいいのかもわからないでおろおろしていたときの、TさんとSさんの突込みが怖かった(わらい)(まじ)  

  その後、数年ぶりでSさんに、わたしの方から再びご協力のお願いの電話をした。が あの時のSさんのテキパキトした物言いにまだなんとなく物怖じしているわたし。

そして、わたしの願いを聞き入れてくださって、湯視協のサポート会員として末永くご協力していただける事になった。
と同時に新会員さんを同伴して来てくださったり、羽後の方のSさんの会員さんに声をかけてくださり、総会やイベントなどにはその会員さんたちをマイカーで送迎していただいている。

今や 我が湯視協にとっては無くてはならない人と成っている。

そのSさんが、これまたわたしのブログを見てくれているらしく、ブログのことをSさんから聞いたと言って、新人会員さんが教えてくれた。
そして、それを教えてもらったAさんがこれまた、申し訳ないほどにマイブログにはまってくれて医療だ。(笑い)

以前の記事と少しダブッタぶぶんもあって、しつこくてごめんなさい。

かなりの長文になってしまったので、2回に分けて投稿します。
音声で聞いている人だって、いいかげんやんなっちゃいますよね。
目で見ている人にとってはいいかげん途中でやめてくださいね、くれぐれも目をいたわってくださいね。
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by wappagamama | 2009-07-19 15:35

十人十色 反応も人様々 「おけいちゃん」編


  わたしのブログの応援団の話をすることになると、コの人なしでは語れない。

それが言わずと知れた「おけいちゃん」。

「しあわせは目の前に」のタイトルで(これでいいのかな?)マイブログにリンクを張らせていただいている、このおけいちゃんのブログを開けば、ななな なんと! 
《町で盲導犬を見かけたら》のリーフレットに「どうぞ こちらも見て単瀬」の添え書きと共に出てくるわ 出てくるわ!。 
それがなんと おけいちゃんの記事のひとつひとつに!…。

おけいちゃんのブログを見に行った人は否応なしにそれがドーンと目に入ってくる仕掛け。
ヨミヒデクンを頼りにしているわたしたちにとっても、そのリーフレットのことは避けては通れない(わらい)

 このお陰で《町で盲導犬を見かけたら》のリーフレットがどれほどの人に読んでいただけたか知れない。

そして、そこから興味を示してくれた人が、《盲導犬エルモの日記》にアクセスしていただいたことを考えれば、このおけいちゃんの功績は多大なものである。
よって この功績に対して、ここに わっぱがままはじめ盲導犬関係者からの感謝状を贈ります。

 アレッ? 以前にもこんなことあったね? そうそう おけいちゃんが 見よう見まねで勉強して、わたしに点字のハガキを送ってくれたときだったね
あれにもビックリさせられました。

全くの素人さんが、そこまで興味を示してくれて、実行するなどとは中々出来ない事。

 そのハガキには札幌のお土産の催促までシッカリ書いてあったという、なんともまぁー 抜け目のナ位おけいちゃんらしいというか…。
そこまで食いついてこられたからには、こちとらしっかりとそれに答えなきゃね?ウフフフ

そして いつも いつも ながーい目で、わたしのブログに応援コメントを入れてくれているおけいちゃん
ほんとうにありがとうm(__)m

今後とも末永く宜しくお付き合いクダサイね。

みなさんのブログにはわたしからコメントできないのが心苦しいのですが、またゆとりができたら勉強してきますので、それまでごめんなさい。
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by wappagamama | 2009-07-19 08:55

十人十色 反応も人様々 「Hちゃん」編


 最近 わたしは秋田のSTT練習に参加していないので、チョット寂しいおもいをしている。

だが わたしとま反対に、湯沢から毎週 毎週いや それ以外にも秋田の練習会に参加している人がいる。

家業の仕事はいつやっているのだろうと不思議に思うくらい。いえいえ それは わたしがいっているのではなく、世間様が言っているのを時々耳にするということ。(わらい)

元を正せばそのKさんを、sttに誘い込んだのはわたし。
嫌がるKさんを、無理やり付き合わせたのはわたし。だからといって、そのKさんがSTTに夢中になり、家業の仕事をホッポリ投げたとしても、わたしはし~らないっと(ウッヒ)…。

だが そのKさん、今や秋田のSTTクラブには、無くてはならない人といっても過言ではないのでは?と思う。

 そのKさんは、STTだけではなく、秋視協の理事もやっているため、
秋視協とsttクラブの理事としての両方の仕事をこなしている。
このパワフルな活動振りには、ただただ敬服するしかない。

 あまりのパワフルぶりにチョット付いていけない部分が出てきたりして、時々摩擦を起こす事があるが、だがトータルして考えれば、利害関係を無視してこれほどのことが出来る人は、まず他にいないとおもう。

「 湯沢市の仕事を全部わたしに押し付けて、自分だけ勝手に、秋田を拠点にしてSTT三昧」と、時々いやみを言っているわたし。

 だが そのKさんが秋田で活躍してくれているからこそ、地元湯沢にも本部からの情報がバンバン入ってくる。

 といったところまでKさんのことで前置きがこんなにも長くなってしまった。
今日の書きたかった内容はこれからはじまる。

 そのKさんの秋田からの情報として、先日このようなことを言っていた。

それは Sttの練習会場での事。
Kさんは、STTクラブの仲間である(コンナ言い方を許されたし)T・Hちゃんのことを話し出した。

 「なんなんなんなん なん まいったよ  Hちゃん STTの練習中 柿崎さんのブログを音量アップにして、「きげ?柿崎さんのブログおもしれがらきいいでみれ?」といってみんなにきかせでいだっけ」とのこと。
「それだげだったらまだええよ? 今度は、携帯電話がら、そのブログの開き方を、みんなさおしぇだしたなしゃ」

 いつもいっていることではあるが、STTの競技中は周りでは一切雑音を立ててはいけない、音だけを頼りの競技なので、雑音は禁物。
その場で ひとりでも そのHちゃんの行為に反対する人がいたとしたら、それは絶対にやってはいけないこと。

そんな状況下での Hちゃんのその行為に対して、わたしは何といっていいか ?…。
目も口も三日月さまのように笑顔になっているわたし。
そして、久々に脳内モルヒネが大量分泌した感じ…。

 温厚で 物静かながら、感性豊かなそのHちゃん。
少ない口数の中で折に触れ、優しい心配りをしてくれるHちゃん。(ドッコイショット)
こんなわたしにもいつも声をかけてくれるHちゃんだから、Hちゃんはいつも人気者。
さしずめ、STT業界の「石田 純一」ってのは どうかな?…。
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by wappagamama | 2009-07-18 20:26