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ひまわりの会 はじめての定期総会を終えて その2


回り道をしたついでです、もうしばらくお付き合いください。

 身障協会への交渉役を買って出たまでは良かったのだったが、ここでこれほどまでの高いバリアーがあったとは!…。
障害者同士のバリアーがこんなにも固くて頑固なものだったという事に改めて愕然とさせられた。
まず 物事の順序として、その団体のトップに話を持ちかけてみた。
私自身その会の理事をやっているので、そのトップのお人柄も知っていたつもりだったので、お話は聞いてもらえると思っていた。
ところが反応は候だった。
キチントした形で文書にして事務局宛に送るようにとのこと。
共同の町づくり運動の事務局に頼み、文書を発送してもらった。
その後再びお伺いを立てたところ、大変結構な事だと思うが、こっちではだれも参加する人はいないだろうとのこと
ソノ段階で何人の会員に声をかけてくれたのかは判らないが、そのトップの考え一つでソノ変時が出たものと思う。

 ならばと 若い宗だったら話を聞いてくれるだろうと重い、サイド挑戦してみた。
そこでも反応は最悪。
責任を持たされたり仕事が増えたりする事は困るとの考えのようだった。
後から聞いた話だがそんなにいい話には裏があるのでは…という疑いをもたれていたとゆうことを知り愕然とした。

  ノーマライゼーションとかバリアフリーなどといわれて久しい今日この頃。
社会が近付いてきてくれているのに、実際のところ一番のバリアーは自分たち障害者の中にあるのではないかと、とてもとても悲しいものを見てしまったような気がする。

 そんな中、親しくしている友人たちに最後の願いを賭けてみた。
わたしからの頼みだからと、仕方なく一回だけ顔出しをしてみると、参加してくれた友人4名。
当日のワークショップの席上、その回の目的は勿論のこと、その進行役をやっていたトピアの理事長のお人柄に参加した全員が魅了されていた。
「だめだばやめればいいんだがら」と繰り返していた彼女たち。
その日からダンスのレッスンを始める人・次回の会場や日程を指定する人などなど車椅子ダンスのレッスンが開催される運びと成った。

レッスンを積み重ね最後のパーティーの時にはみんなのこころはひとつになっていた。
最初のワークショップノとき、「途中継かを楽しみ、終わったあともまたみんなに逢いたいね」と言えるようにみんな友達になっていたというのが理想だよね」といった理事長の言葉どおり、目的は達成できたけど、このままあえなくなるのはさみしいね
、という理由から、ユニバーサル車椅子ダンスパーティー終了後、
「ひまわりの会」が生まれたのだった。
やっとひまわりの会誕生までこぎ付きました。
そしてそれから一年…
次回へ続く
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by wappagamama | 2008-05-31 19:37

ひまわりの会 初の定期総会をおえて


 去年の8月に産声を挙げた「ひまわりの会」
本来ならば8月で丁度一歳のお誕生日となるのだが、先日設立以来始めての第一回目の総会を開催したので、その日を持って満一歳のお誕生日としましょう。

 このひまわりの会が発足したきっかけとなったのは、「ユニバーサル車椅子ダンスパーティー」
共同の町作り運動として秋田県の企画に応募した、湯沢市のNPOの方々の企画書が、その主旨に基づいているという事でみごと採用されたのである。
市内で長年にわたって、色んな福祉活動を行なってきておられる方々が、そのメンバーと成っていた。
ソノメンバーの中のひとつのグループがわたしのパソコンボランテァさん。
秋田県南支援市民ネット NPOトピアさん。
このトピアさんのことに関しては、以前にも何回かご紹介した事があるので、ここでは省略させて頂きます。

 その共同の町作り運動に当たって、いよいよ具体的な話し合いということでワークショップが開催された。
ソノ段階ではまだ共同の町作り運動を立ち上げたNPO団体のメンバーばかりだった。
そこへわたしが参加できたのは、NPOトピア理事長からの、お誘いをいただいていたからだった。
それまでの理事長とのお付き合いの中で、お人柄とお考えに常々感銘を受けていたこともあり、喜んで参加させていただいたのだった。

 はじめてワークショップに参加した日、「アレ? なんだかおかしいな~?」
市民活動をしている人たちと、障害を持った人たちが一緒になって何かを企画し目標に向って活動する事が目的だと聞いていたのに…。
その日ワークショップに集まった人々は、全員市民活動をしている健常者。
障害者はわたしひとり。
最初の企画の段階から、障害者も一緒だと思っていたのに、なんでわたしだけなの?
聞くと、ある程度目標を決めたあとで、障害者にも参加してもらうつもりだったとのこと。
ソノ時点でわたしはひとつのバリアーにぶつかってしまった。
それだったら、今までの何処かでお膳立てをしたものに障害者がお客様として招かれるというパターンと何ら代わりがないのではないかという疑問があった。
更に疑問を感じている事を問うてみたら「知的・精神障害者は無理」ときっぱり言い切った。
同じ障害者でも色んな段階がある。
みんなと交わって楽しめる軽度の人だっているはずなのに…。
障害者を一派一から目にしているものの考え方に、これは一筋縄ではいかないなと思った。
そこには、知的・精神障害者のサポートセンター親の会のメンバーも同席していた。
わたしのその発言に対して、むしろ戒めを受けたようなむなしい思いをしたことを思い出す。

 何もかも一遍に新しくなり改革されると思ってはいけないんだと、自分の心にブレーキをかけ、ひとつひとつ歩み寄って、理解しあって行かなければ行けないんだと自分に言い聞かせています。

 こうやって、何回目かのワークショップで、車椅子ダンスをやろうという事になり、ソノ時点で始めて障害者に声をかけたと結う事になります。
しかもその障害者に声かけをする役目がわたし。
身障協会に所属しているという気楽な気持で買って出たのだったが、これまた大変な間違いをしていた事に後に気が付いたわたしでした。

「ひまわりの会のお誕生日」にたどりつくまで、チョットトンネルに入ってしまいました。
続は次回に回します。
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by wappagamama | 2008-05-31 16:32

夜半にかかってきた一本の電話から…


 数日前の夜半、一本の電話がかかってきた。
ソノ電話の相手は、わたしが受話器を耳に当てたとたん「体調悪いの?」とのこと。
わたしは思わず「ん? なしてよ?」と聞いたが、ソノ返事が帰って来ないうちに「ハハ~ン?」と察知した。
「あー 手抜きしてるがらか?」とのわたしのことばに、スカサズ「そうだよ、前の古い記事ばっかり続いているからさ」とのこと。

 その電話の相手は、娘婿のやっちゃん。
体調が悪くて手抜き記事を投稿していたと思ったらしい。
調子のいいときは一日に2・3軒もの記事を更新する事もあるのに、最近なんだかおかしいと心配していたようだ。
 
娘もここ一年ほど職場環境が変わってから、超過密スケジュールになり、ここひとつきほど電話のやり取りをしていない。
かつてこんなことはなかった。
わたしもわたしなりにそっとして置いてあげようと、気を使っているつもり、娘にしても、以前の一人暮らしのときと違って、兄さんと一緒だからと安心しているだろうと思っている。

なので彼らにはわたしの生活事情ならびにマイブログ「コスモス」に対するわたしの重いが把握しきれていないようだった。
むしろ、色んな角度から接触のある、ぐみっこちゃんのほうから情報が逆輸入しているようだ。
それはそれでわたしとしては安心の材料なので、頼りにしているのである。

  やっちゃんと娘が心配していたわたしの健康状態はすこぶる会長。
もうひとつ ブログの記事が、以前に書いたものが続いている理由。
「東北ホアイエに11頭の盲導犬つどう」の記事の最後の方に、同居人のことを書きました。
そこには、以前の息子と今の同居人との違いを書きました。
わたしと息子のぶっきらぼうな希薄な関係も書きました。
そんな関係を一変した理由に、「ユーパスノ死」ガ 大きく影響している事を、書きました。
ユーパスの死がいかにわたしたち家族に大きな感動をもたらしたかという事をみなさんにも知っていただくために、当時の記事を連載させていただいたのです。
長文で重い記事にお付き合いいただきまして有難うござい増した。
これからも時折関連記事を投稿させて頂きます。
どうぞよろしく…
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by wappagamama | 2008-05-29 12:32

《シティーボーイのエルモクン》より… 思い出の新千歳空港


      第10弾 《新千歳空港》 h18・7・24

  お盆休みで新潟から帰省していた長男は、エルモとは初対面である。一週間
ほど兄弟(?)の契りを結んだ(以後長男はエルモのにいさんとして登場することに
なる)。
長男はお盆休みを延長して、ユーパスノ慰霊式に出席するために、わたしとエルモの3人で札幌へ飛んだ。
そして 東京に居る娘夫婦と新千歳空港で落ち合うことになっていた。

 娘の夫 やっちゃんは、その時がエルモとの初対面である。
やっちゃんは、言葉にならない鼻声を出しながら、ただただ目を細めてニコニコ顔で
、エルモを観察している。
彼ら3人は それぞれの知りえた情報を交換しながらエルモ談義が始まった。
それはあくまでも エルモの仕草 目の特徴的ナ表情など視覚から得られる姿かたち
がその話題の主流だった。
そんな何気ない彼ら3人の談義を聞いているだけで、エルモのイメージが私の中に益
々大きく膨らんでくる。

  実はこの千歳空港でもうひとり待ち合わせをしていた人がいた。
2泊3日のスケジュールを、目一杯充実させてくれた仕掛け人である。言わずと知れたその仕掛け人は矢内さんだった。
勿論ユーパスの慰霊式を主目的としたプラス札幌観光は、すでに新千歳空港内のステ
ーションから始まった

 2ヶ月前娘は矢内さんとの出会いで熱い思いを抱いていた。
そして今また矢内さんと再び逢える事の喜びは彼女にとって飽和状態だった。
初対面である娘の夫やっちゃんと息子は、娘とわたしからその情報はタップリと聞いていたので、彼らなりに期待感が膨らんでいたはず。


 そこえ現れたのは娘さんのTちゃんと一緒の矢内さん。
挨拶もそこそこにまずは6人で腹ごしらえ。
矢内産いわく「初対面のふたりに向って「どうお? 想像していた通りでしょ?」とみんなの心の中をすっぱ抜かれてしまい大爆笑!。
瞬間みんなのこころはひとつになり、昔からの友人のような、温かい関係が出来てしまった。

ここ空港ステーション内から、移動は、エルモの誘導で自力で歩くことにした。
そこには健康な視力の大人が、見守ってくれているという安心感があった。
それ以上に、私としてはエルモのシティーボーイぶりをみんなにご披露したいという
気持のほうが強かったかな…?。
といいつつも内心は トラブル続で虚弱体質のエルモは、暑さと長旅で疲れてはいないだろうか?
、チャント歩いてくれるだろうか?という心配はわたしの中から拭い去る事は出来ずにいた。
そこは大きな建物内でのすこぶる込み合っている大都会である。

 「サッ エルモお仕事だよ」と軽くリードを弾き、 ハーネスのハンドルを持ち「O
ツKー まっすぐ!」と盲導犬エルモ号と文字通り2人3脚でスタートした。
おーお 元気!元気! エルモは嬉々として私を誘導している。
さっきまでのわたしの心配はどこ吹く風。
「ヨーシ! ヨシヨシヨシ! グッドボーイ!」と私は繰り返している「。「ネー みんな見てる? 
こんなかっこいいエルモをしっかり見ててね」と何故か(?)鼻高々になっている私

と次の瞬間! エルモは左へ右へとジグザグ歩きを始めた。しかも褒められた後なの
でスピードが増している。そんな速さでジグザグ歩きをされたら、こっちはたまった
もんじゃない。!「エルモ!ノー! ゆっくり」スピードを落としてから軌道修正を
しようと思ったが、エルモの今のシティーボーイぶりには歯止めが利かない。
みんなにいいとこみてもらおうと思ったのに、まずいと子見られちゃったかなぁー。
と一瞬エルモを疑った?が まてよ! もしかして障害物をよけていたのかな?と頭
の中で瞬間的に色んな思いが駆け巡る。
エルモのことより自分を軌道修正するほうが先だよな!、トラブルとすぐに盲導犬の
睛にしたがる悪いユーザーである(ほんとにわかってるのかよ)。
加速度の増したジグザグ歩きに、体のバランスを崩しそうになり危なっかしい私の様
子に、すかさず「危ない! 危ない! ヤッパリだめだよ! こんなに込んでるとこ
ろは無理だよ!」と娘が駆け寄ってきた。
ソノ様子を見守っていた矢内さんの声が、「大丈夫だよーっ! 心配しなくても! 
エルモはしっかりとお仕事をしているよ ちゃんと障害物をよけているから ああゆ
う動きになるんだよ、エルモはとても能力の高い子だよ」
「一部始終を見守ってくれていた矢内さんの力強い声だった!。
ユーザーと盲導犬のことは誰よりも理解してくれている矢内さんのその言葉は、ずっしりとはらわたに響いた。
あれほどの雑踏の中でも矢内さんのその声は、大きな建物に美しく反響していたので
した。
一瞬! 時が止まったかのように感じたのは、私だけではなかったかもしれません。
「エルモを信じて歩けば何も心配ないよ」と更に矢内さんのことば。鳥肌が立つよう
な感覚に襲われたのでした。
まるで ワイドスクリーンの映画のなかにでもいるような、周りの風景・みんなの動
き・みんなの表情など全てが総天然色と成って私の脳裏を駆け巡ったのです。

 こんな素晴らしい時間を家族と共に共有できたこと、私の子供たちの胸にもしっかりと響いたことでしょう!  次回へ続く
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by wappagamama | 2008-05-26 14:43

《シティーボーイのエルモクン》より… ハハ娘で共有できた大切な時



      第9弾《親子で共有した 大切な時間(とき)》

 ユーパスを失って沈んでいた頃の生活から取材はスタートした。
そして、2頭めの盲導犬の共同訓練開始日が決定。それに伴い札幌へ発つ準備。が 
気がかりなのはユーパスノこと。
そこへまたまた矢内さんの一言「ユーパスごめんね っていいながら 新しい子を抱
きしめるような中途半端な気持ではダメだよ。ユーパスは札幌へ連れてきなさい、こ
っちで皆が供養してあげるから」とのこと。
いつも いつも迷っているときの私への、矢内さんの一言が私を救ってくれるのです

そうと決まったらにわかにその準備で忙しくなり、東京から娘K子が駆けつけ、札
幌まで同伴してくれた。
私のことが心配だったこともあろうが、ユーパスのお別れを見届けたいという思いも
あったことだろう。
そんな大切な時間を娘と共有できたことは、私たち親娘にとってはとても、貴重な時
間となった。
盲導犬の周りには、今まで出会った人たちとはまた違う、大勢の人たちの力と優しさ
に溢れていることに彼女は感動していた。
今の私があるのは、こうゆう人たちに支えられてこそあるのだということを彼女の胸
に刻まれたことを私は信じたい。
日常の生活の中では、中々見ることも感じることもないであろう、私の外部との関係
を、彼女にしっかり見てもらったことは、私にとって大変うれしいことだった。
ユーパスとのお別れそして新しい子「エルモ」との出会いを目的として同伴してくれ
た彼女だったが、そこでは、想像し得なかった、大きくて 大切なものを見つけてく
れたようだった。
彼女のその大切な思いは、東京へ帰ってから二人の男性に熱く語られた。
そして、2ヵ月後 ユーパスの慰霊式には、その二人の男性も札幌に飛んでいた。
それは ユーパスが大好きだったにいさんと、ユーパスをこよなく愛してくれた娘の夫のやっちゃんのふたりだった。
こうやって ユーパスノ慰霊式には家族全員が参加したのだった。
そこでまた、彼らたちは、2ヶ月前Kこが受けたあの感動と同じ、イヤ もしかし
たらまた更に大きな感動をそれぞれに感じていたのかもしれない。
盲導犬協会の周囲には素晴らしい人のパワーとエネルギーが渦巻いている。
そこへ導き感動を与えてくれたのはやはりユーパスノちからなのかもしれない。
次回へ続く
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by wappagamama | 2008-05-24 22:38

《シティーボーイのエルモクン》より… 忘れられない6月24日



       第8弾 《忘れられない 6月24日》 h18・7・14
1999年6月24日。H先生の手によって盲導犬としての観察が、ユーパスノ首に誇
らしく輝いた日です。
厳しくも楽しかった4週間の共同訓練を終え湯沢に帰ってきた日でもある。
ユーザーとしても1年生 盲導犬としても1年生。ひとりと一頭は初心者同士。
同じところを何回も何回も繰り返し反復訓練あるのみ。
自分の足で好きなところへ自由に歩きたいという目的があったので、毎日が夢中で過
ぎていったのは、今と成ってはなつかしい思い出でとなっている。
そして 数年後、一人で暮らしていたらこんなことは絶対ありえなかったろう、とい
う貴重な体験を数 限りなく経験することができた。
その様子は連載コラム「ユーパスクンは今日も行く」というタイトルで小冊子として
記録に残っている。
 そして、短すぎた私との幸せな生活に終止符を打って、ユーパスがお骨と成ってふ
るさとの札幌に帰ったのがくしくも6年後の2005年6月24日のことだった。
その日は、2頭めの盲導犬との共同訓練の開始の日となっていたため、娘に付き添っ
てもらい、盲導犬協会の門をくぐったのだった。
ユーパスとの最初の出会いの日そして、6年後計らずしてユーパスを納骨した日。
なんと、思いもよらない2頭めの盲導犬「エルモ号」は、その日の午後に井ノ内先生
の手から私の手へとリードが渡されたのだった。
その時の先生のお話の中に「エルモのお母さんは ナビ です」とのこと。
私は思わずその言葉にビックリしたのです。そうです その「ナビ」ばまぎれもない
ユーパスノお母さんだったのです。
エルモは母さんが一緒、「ナビ」から生まれたユーパスのじつの弟でした。
重なるこの偶然に私が気づいたのは、別れと出会いのハザマで苦悩していたまさにそ
の時でした。
これはただの偶然?! 直後  イヤッ これはユーパスが引き合わせてくれたのか
もしれない! と思ったその瞬間、なんだかつかえていた胸がスーッと楽になり、急
にエルモがいとおしく感じられたのでした。
ユーパスも、2頭めの盲導犬エルモとの、新しい生活を再スタートすることを祈って
いてくれたのかもしれない。と素直にそう思えるようになりました。
 ユーパスとの出会いの時から、TBSテレビからの取材を受け、その様子は、6年
前動物奇想天外で全国放映されたという経緯があり、再度テレビ局からの取材願いの
連絡があった。
ユーパスとの6年間の生活と最愛のパートナーを突然失ってしまった心境を取らせて
欲しいとのことだった。
ユーパスの盲導犬として生きた証が、社会に理解してもらえるのなら…、私とのたの
しかった生活が記録として残るのなら…、という思いで取材をお受けしたのだった。
2005年の初夏から真夏そして晩秋へと季節は変わっても、記録的な酷暑は以前 厳し
かった。猛烈な暑さと、深い悲しみと戦いながらの、取材スタッフと行動は常に一緒
だった。
自分の身の回りのことや、気持のコントロールだけでも精一杯の状態だった。が そ
のうち 私は、取材スタッフの方たちの情熱を感じ始めていた。   次回へ
続く
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by wappagamama | 2008-05-24 15:39

《シティーボーイのエルモクン》より… ありがとうユーパス


 前回重い記事を投稿したまましばらくご無沙汰いたしました。
にもかかわらず、訪問者数が以前 少なくなっていない事にホット安心しているわっぱがままでした。
ということで、今回もユーパス関連記事を投稿いたします。
これは 《ユーパスクンは今日も行く》の後に エルモとの生活を記録したものです。
《シティーボーイのエルモクン》とゆう題名で、BCCで複数の方に同時送信したものですので、重複している方もあ廊下と思いますが、ご了承くださいね。


第7弾 《ありがとう ユーパス》  h18・6・30
ユーパスと暮らして5年9ヶ月、私の生活を根本的に変えてくれました。私を社会に引
き出してくれたのもゆーぱす、気づかなかった私の中の何かを引き出してくれたのも
ユーパス。そしてユーパスは何処へ行っても主人公でした。ある意味私はそのユーパ
スの代弁者でした。
思いもよらない方面からのお誘いも様々な形で増えていました。
そんなユーパスノ訃報を聞きつけた人たちが一杯集まってきてくれました。
お花やお供物それに御香典までが連日のように届き、大好きだったお花が凛々しいゆ
ーぱすの遺影を優しく包み込んでいました。
その様子にまた改めて皆さんと一緒に感動の涙 涙 涙
見返りの無い純粋な愛情に対するユーパスと周囲の人たちへの感動でした。
天に召されてからも尚、周囲の人たちとの絆を深めてくれ、更に私に勇気を与えてく
れました。
そんなユーパスとの思い出にドップリと浸っていた2週間目の朝、ほぼ同時に2本の電
話がありました。偶然にもその内容は同じものでした。「どうう? 少しは落ち着い
た? 何時までもユーパスノことを引きずっていてはダメだよ、今はまだ無理かもし
れないけど、でも次の子の申し込みだけは早くしておきなさい」とのこと。冗談でし
ょ! 今の私の精神状態で次のこのことなんか考えられないよ!という思いと、これ
からの生活を考えたとき現実的には盲導犬なしの生活は不可能です。
ユーパスノパピーウォーカー矢内さんのその電話で、ハッ! と 活を入れられて我
に返っていたときです、2本目の電話が入ったのは!ユーパスとの共同訓練を担当し
てくださったH先生からのものでした。
絶妙なタイミングのその先生の声に、ポンッ と肩を叩かれたような気がし(2
頭めの盲導犬をお願いします」とつぶやくような小さな声がわたしの口から発せられていました。
いずれにしても、2頭めの盲導犬との出会いまではまだまだ長い時間がかかるものと
思い、それまで少しはユーパスノことが癒えているのかも…?
呑気に構えては見たものの、現実はそんなに甘くはありませんでした。
心理的にも肉体的にも一歩も外に出て行けない状態になっていたのです。
頭では理解していても、肉体とこころがついていかないのです。
そんな時、矢内さんが癌と戦っていることを知りました。
ご自分がそんな状態なことは、おくびにも出さないで、私の心配をしてくれていたの
です。「むしろ、今の柿崎さんより矢内産の状況のほうが厳しいかもしれないよ。柿
崎さんが早く2頭めのこと、元気に歩く姿を見せることが、矢内さんの励みになるん
だよ」といってくれた方が降りました。
矢内さんは、北海道盲導犬ユーザーの仲間たちにとっては、大きな存在です。
ひとことでは語り尽くすことのできない、みーんなのおかあさんのようなひとです。
イエ もしかしたら ウウウン キット みーんなの、こころのマドンナなののです

そして、矢内のパパは、みーんなのおとうさんのような人です。イヤ やはりナイト
のほうがピッタリかな?
 3ヵ月後 北海道盲導犬協会の温情により、特別枠という形で、新パートナー エ
ルモ号 が私のもとへやってきてくれました。こんなふうにして、私は大勢の方たち
のお陰で、ユーパスがいた頃の生活と何も変わらないしあわせな日々が再び戻ってき
ました。
次回へ続く
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by wappagamama | 2008-05-24 14:58

[ユーパスクンは今日も行く]より ユーパスは本物の天使でした


 前回の記事で「ユーパスの死」について書きました。
あれから3年が経ちました。
ソノ頃に書いた記事がありますので、ご紹介します。
今 思い出しても目頭が熱くなりますが、ユーパスのことは、今でもみんなのこころに生きています。
ちょっと重い記事ですがお付き合いください。
尚 子の記事は、わたしのお世話に成っているメールマガジンに連載されたものです。
この後も関連記事を投稿しますので、宜しくお願い致します。
~~~~~~~ここから貼り付け~~~~~

[メルマガ63号] 2005年5月30日号  
会員連載コラム特別編
         ユーパスはやはり本物の天使でした
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  今、我が家の玄関先には色とりどりの花が咲き乱れています。
 チューリップ、水仙、ビオラ、スイトピーマーガレット、ムスカリ
 それに白い芝桜、そして、くちなしの花、ラベンダーなどなど所狭しと
 咲き競っています。ユーパスが天に召されてから数週間後、
 ユーパスの霊を慰めるかのように、、、、。
 
  津波のように押し寄せる悲しみを、癒すかのように、夢中で球根や
 春の花を一杯植えました。
 そこは、ユーパスが亡くなる直前まで、オシッコをしに行った場所です。
家の中で粗相してはいけないという、盲導犬としての最後まで忠誠心と
 責任を果たした、立派な彼の姿でした。
 死ぬほどつらい思いをしていたはずなのに、健気にも忠誠心を全うした
 ユーパスは、とてもとても立派でした。
 そんな見事なユーパスの「ちりざま」は、私の心に大きな感動を残しまし
た。
そして、その感動は、ユーパスをうしなったことの悲しみさえも
 うすらげてくれるほどのものでした。

  最後の最後まで立派だったユーパス、でも最後の最後まで甘えん坊だった
 ユーパス、添い寝をしていた私のお腹と腕と太ももに、抱かれるようにして
 ドンと、倒れ込んできました。瞬間、私の唇にお別れのキスをしてくれたの
 です。
私の腕の中で、最後を看取ってあげられたこと、それはユーパスにとっても
 わたしにとっても、何よりの幸せでした。

 ユーパスが天に召されたことを知った、知人や友人たちが駆けつけて
 くれました。
誰もがその悲しみを隠そうともせずに、ユーパスとの突然のお別れを
 愛しんでくださいました。その様子を見ていた周りの人たちは、異口同音に
 皆「ユーパスの人徳だ」と言ってくれました。
 ユーパスは私と暮らした、5年9ヶ月の間に、私の周りに素晴らしい
 人間模様を巻き起こしてくれました。そして、私に多勢の、素晴らしい
 友人たちを残していってくれました。
 これまでユーパスが巻き起こしてくれた、様々な出来事を思い返して
 見れば、そのいずれも、私の「未来への道しるべ」を作ってくれていた
 ことを禁じえません。
純粋な気持ちで、「崇高」という言葉をかぁさんからユーパスに捧げます。

 ユーパスはやはり、本物の天使でした。
 ユーパスを愛してくださった皆様、ユーパスを可愛がってくださった皆様、
 幸せな思い出を一杯作ってくださいまして、本当に有難うございました。
ユーパスは本当に幸せものでした。

  見るもの聞くものそして行く先々には、ユーパスの思い出が一杯です。
 今の私には、それを乗り越えることはまだできません。今しばらく、
 時間が必要かと思います。
 ユーパスが築いてくれた、「道しるべ」を無駄にすることなく、
 これからも前を向いて歩いて行きたいと思います。
 今後とも今まで同様、お付き合い下さいます様、宜しくお願い致します。
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by wappagamama | 2008-05-16 09:33

東北ホワイエへ11頭の盲導犬つどう


 11日日曜 日「秋田県盲導犬使用者の会」の定期総会が開催された。
会場は、北海道盲導犬協会東北ホアイエ。
所在地は秋田市大町のビルの一室。
 わたしがそこを利用したのは今回で2回目。
盲導犬11頭、そのユーザー11名、来賓、付き添い、ボランテァ合わせて20数
名。
参加者が多くて嬉しい悲鳴をあげていた、会長の心配が判るような気がした。
でも これはこれで膝突き合わせて、アットホームな雰囲気でわきあいあいと総会は進行した。

 昼食を済ませた後、それぞれのユーザーからのお話しがはじまった。
盲導犬と歩ける喜びを無心に語る、ユーザー暦一年生の新会員さんを皮切りに、々とベテランユーザーの話が続いた。
盲導犬との生活の中には、よい事ばかりではなく、色んな悩みや苦労話なども飛び出した。
犬の健康状態のこと、2頭めの盲導犬に変わってからよくなった人、逆に困った事が多くなった人、などなど話は尽きない。

 今回の参加者のほとんどは、人生の途中で何らかの原因によって、視力を失った人たち。
俗に中都失明者という。
 ともあれ 視力を失ってから、盲導犬と歩こうと決め手、そのパートナーと、二人三脚で歩き始めてからの、その人その人の人生がどれほどの影響オ受けているか計り知れないものがあることは、明らか。

 今回も秋田まで同居人の車で…。
同居人と暮らし始めてから半年。
彼もまた わたしの生活に色んな影響を与えてくれている。
中でも意外だと思いつつも、大変有難い事のひとつに、わたしの行動に付き合ってくれる事である。
たとえばイベントの際のボランテァ、秋田市での会場の場合にはマイカーで送迎同伴してくれる。
彼の仕事の都合で、十数年間、年に数回の帰省というパターンの親子関係だった。
お互いに言いたいことも言えず、なんとなく希薄だったその関係は、ある事がきっかけとなり、お互いが素直に肩の力を抜いて語り合えるようになった。
 
 そのきっかけとは、「ユーパスの死」
ユーパスが突然天に召され、その慰霊式のため、北海道盲導犬協会へ家族全員が参加したときの事。
そこで出会った人々。
そこで受けた感動。
そしてそんなすばらしい人たちの中にいる、わたしの姿。
家の中にいる母親の姿しか見た事がなかったろう、彼の心が何かを感じ取ってくれたようだった。

 娘夫婦は東京から、そして息子は新潟からそれぞれ千歳空港で落ち合った。
盲導犬とそのユーザー三十数名ボランテァ・職員の方々二百名以上(?)り、2泊3日。
北海道盲導犬ユーザー研修会の渦の中にいた、わたしの家族。
そして 家族全員のこころを大きく揺さぶった!
慰霊式に引き寄せた、ユーパスの優しさがそうさせたのだと私は思う。

 以来息子、娘夫婦共々、家族全員の絆がより強いものとなった。
と同時に、盲導犬に対する興味も強くなり、盲導犬協会のサポート会員としても登録。
定期的に配布される「協会だより」にも興味津々。
他のワンちゃんたちにも逢いたいと、わたしのゆくところ、盲導犬のいるところ、率先して同伴してくれる。
今と成っては、私に対する優しさよりも、むしろ 他の盲導犬に対する興味の方がは
るかに強いようだ。
そうやって 彼なりに興味を持って楽しみながら同伴してくれている事の方が私自身も嬉しい。
ここだけの内緒の話だけど…
其の方が私自身も気が楽…。ウフフフフ

 アレッ? また話が脱線しちゃってる~。
その日 秋田からの帰り道、湯沢の千年公園にて、藤まつりを見てきました。
朝から一日付き合ってくれた同居人。
カーラジオから 母の日の話題が…
嬉しい母の日でした…
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by wappagamama | 2008-05-13 15:53

今日は「コスモス」開設記念日


 2007・5・10 
わっぱがままがブログデビューしたのは、丁度一年前の今日のこと。
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札幌の盲導犬協会にて、ブログ作成を目的に2週間の滞在中の出来事だった。
予期せぬハプニングが次々と発生し、2週間の滞在中どれだけのことができるようになるのか、皆目見当が付かない状態が続いた。
(なせば成る なさねば成らぬ 何事も…」敵精神で色んな事に挑戦してきたわたしだったが。このときばかりはさすがのわたしもくじけそうになったことを、今 改めて思い出してしまった。

 滞在中に何としてでも、自分で更新できるようにならなければと、夜遅くまでパソコン室に閉じこもって練習していた。
消灯が過ぎたのも気が付かないで、当直の職員さんに、ご迷惑をおかけしたことしばしば。
滞在期間はあと残すと子二日。
こんな状態で家に帰っても、どうしようもないと、落ち込んでいたアル晩。
消灯も過ぎ、エルモのオシッコタイムもイシテシマッテいる、シャワーも浴びられない。
あわてて自室に戻り、こっそりエルモを連れ出し排便所へ…。
排便所のドアーを押し開けたらそこは土砂降り雨。
そこにはカッパや傘が取り揃えてあるのだが、、
その時のわたしはそんなことに気が回らない状態だった。
あと2日しかないのに目的までほど遠い。
冷たい雨に打たれながらやりきれない気持になっていた。

 と そんな時 ふっと気が付いたら、冷たい雨が止まった。
そう 当直のKさんが見かねてそっと大きな傘を差しかけてくれていたのだった。
あー なんて温かい このKさんの優しさについ目頭が熱くなった。
さらに 「まだお風呂ハイっていないんでしょ?」とそして 「ぱっと入ってくるんならい伊ですよ」と

外は冷たい雨、 静まり返った宿舎の廊下を忍足で浴室に、
タイルにはねるシャワーの音の優しく温かかった事…。
kさんありがとう
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by wappagamama | 2008-05-10 15:06