<   2007年 09月 ( 16 )   > この月の画像一覧

ノボタン・球柳・紫しきぶ


姫ひまわり・ノボタン・球柳・弁慶草のピンクと白・紫しきぶもピンクと白
さびーしかった我が家のお庭に色とりどりの草花がやってきた。
ギラギラの真夏の太陽が降り注いでいたときは、一刻も早く家の中に入りたくて、草花を観照しているゆとりさえもなかった。
 秋風が心地よい今日この頃、エルモとのお散歩コースで、さわやかな金木星のかおり。とたんに花が恋しくて 恋しくてたまらなくなってしまったわたし。

以前の記事にも書いたように、今年の我が家の (小さいという意味の) お庭は、とーってもさみしいものだった。
それでも頑張ってひとりでときおり咲いてくれていたのが、くちなしの花。水遣りを忘れられていた真夏日の日にも負けず、台風や豪雨の厳しい日にも負けず、今 また沢山のつぼみを付け、あまーいかおりを放ちながらいっこ 2こと咲き始めている。まるで 宮沢賢治のような「くちなしの花」
エルモの水呑場でもあるくちなしの花の植木鉢だけが、わたしとエルモを癒してくれていた。

秋の花が欲しいとヘルパーさんに頼んで買ってきてもらったのが、文頭にある花々だった。
姫ひまわりと紫しきぶはわたしの記憶の中から蘇るが、そのほかの ノボタン・球柳・弁慶草がどんな花だったか思い出せない。
球柳は親指から小指大の先ほどの丸いオレンジ色のかわいい球が、2・3こ固まって付いている。
ノボタンは 葉っぱの感触が順毛の (じゅんもう) 冬物のコートのようなぶ厚い不思議な感触。その葉っぱの裏を触ると、葉脈が他のそれとはチョト違う。
普通のは、一番長くて太い縦の
葉脈は一本しかない。
だが、その ノボタンの縦の葉脈は真ん中の一番太いものの両側に、もう一本ずつ付いている。
新しい発見をした喜びと、3本あるその訳がわかったようなよろこびに、ひとりにーんまり…。
順毛 (じゅんもう) のような感触のその葉っぱは、当然その重量も普通のよりは重いはず。となるとやはり、重さに耐えるために強度が要求される、。
という わたしの理屈は当てはまって胚内だろうか?。どおう? 違っていたら誰か反応してー?

 先日 自然観察会では、指導員の方から様々なことを教えていただいた。
その中で最も印象的だったのは、「ぶなの葉っぱ」
ぶなの葉っぱは淵がギザギザになっていて、落葉した後枯れるにしたがって、両側から裏へ丸まり筒状になるとのこと。
落葉した葉っぱは全て筒状のまま積み重なっていく。
「アッ そうか! だからぶな林はクッションが効いていて、自然の雨水を蓄え、微生物の宝庫だったんだ!」
大自然の中でのそれぞれの営みは、それぞれの子孫繁栄・種の保存の理屈に伴って営まれていることの、不思議で偉大な力に毎回感動を受ける。
しかも、自分の足で歩き、汗を流して手にとって見たからこそ、はじめて実感として感じられたのだと思う。

 今日 ノボタンの葉っぱの不思議に気が付いたのもそんな風に、自然に触れて自然の知識を吸収したから感じられたのではないかと思う。
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by wappagamama | 2007-09-30 17:39

「シティーボーイのエルモクン」より おもいでの新千歳空港



第10弾 《新千歳空港》 
                         h18・7・24 記

  お盆休みで新潟から帰省していた長男の真は、エルモとは初対面である。一週間ほど兄弟(?)の契りを結んだ(以後真はエルモのにいさんとして登場することになる)。その後 真とエルモと私は札幌へ飛んだ。
そして 東京に居るかな夫婦と新千歳空港で落ち合うことになっていた。
かなの夫 やっちゃんは、その時がエルモとの初対面である。
やっちゃんは、言葉にならない鼻声を出しながら、ただただ目を細めてニコニコ顔で、エルモを観察している。
彼ら3人は それぞれの知りえた情報を交換しながらエルモ談義が始まった。
それはあくまでも エルモの仕草 目の特徴的ナ表情など視覚から得られる姿かたちがその話題の主流だった。
そんな何気ない彼ら3人の談義を聞いているだけで、エルモのイメージが私の中に益々大きく膨らんでくる。

    実はこの千歳空港でもうひとり待ち合わせをしていた人がいた。
2泊3日のスケジュールを、目一杯充実させてくれた仕掛け人である。言わずと知れたその仕掛け人は矢内さんだった。
勿論ユーパスの慰霊式を主目的としたプラス札幌観光は、すでに新千歳空港内のステーションから始まった
再開の喜び、初対面のちょっとした緊張感とうれしさが入り乱れる中でまずは腹ごしらえ。ご多分に漏れず札幌ラーメン?!

 そこで 空港ステーション内の移動は、エルモの誘導で自力で歩くことにした。
そこには健康な視力の大人が、見守ってくれているという安心感があった。
それ以上に、私としてはエルモのシティーボーイぶりをみんなにご披露したいという気持のほうが強かったかな…?。
といいつつも内心は 虚弱体質のエルモは、暑さと長旅で疲れてはいないだろうか?、チャント歩いてくれるだろうか?という心配もあった。

 大きな建物内でのすこぶる込み合っている大都会である。
「サッ エルモお仕事だよ」と軽くリードを弾き、 ハーネスのハンドルを持ち「OツKー まっすぐ!」と盲導犬エルモ号と文字通り2人3脚でスタートした。
おーお 元気!元気! エルモは嬉々として私を誘導している。「ヨーシ! ヨシ ヨシヨシ! グッドボーイ!」と私は繰り返している「。「ネー みんな見てる? こんなかっこいいエルモをしっかり見ててね」と何故か(?)鼻高々になっている私。
と次の瞬間! エルモは左へ右へとジグザグ歩きを始めた。しかも褒められた後なのでスピードが増している。そんな速さでジグザグ歩きをされたら、こっちはたまったもんじゃない。!「エルモ!ノー! ゆっくり」スピードを落としてから軌道修正をしようと思ったが、エルモの今のシティーボーイぶりには歯止めが利かない。
みんなにいいとこみてもらおうと思ったのに、まずいと子見られちゃったかなぁー。と一瞬エルモを疑った?が まてよ! もしかして障害物をよけていたのかな?と頭の中で瞬間的に色んな思いが駆け巡る。
エルモのことより自分を軌道修正するほうが先だよな!、トラブルとすぐに盲導犬の睛にしたがる悪いユーザーである(ほんとにわかってるのかよ)。
加速度の増したジグザグ歩きに、体のバランスを崩しそうになり危なっかしい私の様子に、すかさず「危ない! 危ない! ヤッパリだめだよ! こんなに込んでるところは無理だよ!」と娘かなが駆け寄ってきた。
その声に答えるようにズーット前の方から「大丈夫だよぉー! 心配しなくても! エルモはしっかりとお仕事をしているよ ちゃんと障害物をよけているから ああゆう動きになるんだよ、エルモはとても能力の高い子だよ」
「一部始終を見守ってくれていた矢内さんの力強い声だった!。
ユーザーと盲導犬のことは誰よりも理解してくれている矢内さんのその言葉はずっしりとはらわたに響いた。
あれほどの雑踏の中でも矢内さんのその声は、大きな建物に美しく反響していたのでした。
一瞬! 時が止まったかのように感じたのは、私だけではなかったかもしれません。
「エルモを信じて歩けば何も心配ないよ」と更に矢内さんのことば。鳥肌が立つような感覚に襲われたのでした。
まるで ワイドスクリーンの映画のなかにでもいるような、周りの風景・みんなの動き・みんなの表情など全てが総天然色と成って私の脳裏を駆け巡ったのです。
こんな素晴らしい時間を家族と共に共有できたこと、私の子供たちの胸にもしっかりと響いたことでしょう!  次回へ続く
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by wappagamama | 2007-09-28 20:41

シティーボーイのエルモクンより 《母娘で共有できた 大切なとき》


第9弾《親子で共有した 大切な時間(とき)》

 ユーパスを失って沈んでいた頃の生活から取材はスタートした。
そして、2頭めの盲導犬の共同訓練開始日が決定。それに伴い札幌へ発つ準備。が 気がかりなのはユーパスノこと。
そこへまたまた矢内さんの一言「ユーパスごめんね っていいながら 新しい子を抱きしめるような中途半端な気持ではダメだよ。ユーパスは札幌へ連れてきなさい、こっちで皆が供養してあげるから」とのこと。
いつも いつも迷っているときの私への、矢内さんの一言が私を救ってくれるのです。

 そうと決まったらにわかにその準備で忙しくなり、東京から娘かなが駆けつけ、札幌まで同伴してくれた。
私のことが心配だったこともあろうが、ユーパスのお別れを見届けたいという思いもあったことだろう。
そんな大切な時間を娘と共有できたことは、私たち親娘にとってはとても、貴重な時間となった。

 盲導犬の周りには、今まで出会った人たちとはまた違う、大勢の人たちの力と優しさに溢れていることに彼女は感動していた。
彼女の 時折行動が止まっているとき、時折ことばを失っているとき、そんなとき きっと驚きの瞬間だったんだろうと思われることがよくあった。
今の私があるのは、こうゆう人たちに支えられてこそあるのだということを彼女の胸に刻まれたことを私は信じたい。
日常の生活の中では、中々見ることも感じることもないであろう、私の外部との関係を、彼女にしっかり見てもらったことは、私にとっては大変貴重でうれしいことだった。
ユーパスとのお別れそして新しい子「エルモ」との出会いを目的として同伴してくれた彼女だったが、そこでは、想像し得なかった、大きくて 大切なものを見つけてくれたようだった。

 彼女のその大切な思いは、東京へ帰ってから二人の男性に熱く語られた。
そして、2ヵ月後 ユーパスの慰霊式には、その二人の男性も札幌に飛んでいた。
それは ユーパスが大好きだったにいさんと、ユーパスをこよなく愛してくれたやっちゃんのふたりだった。
そして 北海道盲導犬協会で行なわれた、その年に亡くなったワンちゃんたち16頭とユーパスノ慰霊式には家族全員が参加したのだった。
そこでまた、彼らたちは、2ヶ月前 かなが受けたあの感動と同じ、イヤ モット大きな感動をそれぞれに感じていたのかもしれない。

 盲導犬協会の周囲には素晴らしい人のパワーとエネルギーとやさしさが渦巻いている。
そこへ導き感動を与えてくれたのはやはり、ユーパスノ偉大なちからなしでは考えられない。
次回へ続く
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by wappagamama | 2007-09-28 12:38

シティーボーイのエルモクンより 《忘れられない6月24日》


 この記事は、エルモとの生活が始まってから、日記の感覚で書いていたものです。
その都度BCCで、複数の方に送信しておりましたので、ごらんになった方もおられると思いますが、再度マイブログ「コスモス」に記載させて頂きました。
「ユーパスクンは 今日も行く」そして「シティーボーイのエルモクン」のふたつの作品ノなカから、今後時折紹介させて頂きます。
よろしくおねがいしまーす。


      シティーボーイのエルモクン  第8弾 《忘れられない 6月24日》                        記h18・7・14

1999年6月24日。H先生の手によって盲導犬としての観察が、ユーパスノ首に誇らしく輝いた日です。
厳しくも楽しかった4週間の共同訓練を終え、地元湯沢に帰ってきた日でもありました。
ユーザーとしても1年生 盲導犬としても1年生。ひとりと一頭は初心者同士。
同じところを何回も何回も繰り返し反復訓練あるのみ。
自分の足で好きなところへ自由に歩きたいという目的があったので、毎日が夢中で過ぎていったのは、今と成ってはなつかしい思い出でとなっている。

 そして 数年後、一人で暮らしていたらこんなことは絶対ありえなかったろう、という貴重な体験を数 限りなく経験することができた。
その様子は連載コラム「ユーパスクンは今日も行く」というタイトルで小冊子として記録に残っている。
 そして、短すぎた私との幸せな生活に終止符を打って、ユーパスがお骨と成ってふるさとの札幌に帰ったのがくしくも6年後の2005年6月24日のことだった。

 その日は、2頭めの盲導犬との共同訓練の開始の日となっていたため、娘に付き添ってもらい、盲導犬協会の門をくぐったのだった。

 ユーパスとの最初の出会いの日そして、6年後計らずしてユーパスを納骨した日。
なんと、思いもよらない2頭めの盲導犬「エルモ号」のリードが、I先生の手から私の手へと渡されたのもその日の午後のことだった。
その時の先生のお話の中に「エルモのお母さんは ナビ です」とのこと。
私は思わずその言葉に絶句してしまいました。そうです その「ナビ」はまぎれもないユーパスノお母さんだったのです。
エルモは母さんが一緒、「ナビ」から生まれたユーパスのじつの弟でした。
重なるこの偶然に私が気づいたのは、別れと出会いのハザマで苦悩していたまさにその時でした。
これはただの偶然?! 直後  イヤッ これはユーパスが引き合わせてくれたに違いない!。 と思ったその瞬間それまでつかえていた胸が、スーッと楽になり、エルモを抱きしめて泣きたい気持にかられてしまいました。
でも そんなことをしたら、エルモがビックリして、拒否反応をおこしたら大変と思い、グッと我慢したのですが…。
以来エルモがイトオシクッテ、いとおしくって…。

ユーパスが、エルモと新しい生活を再スタートすることを祈っていてくれたに違いない。と素直にそう思えるようになりました。

  ユーパスとの出会いの時から、TBSテレビからの取材を受け、その様子は、6年前動物奇想天外で全国放映されたという経緯があり、再度テレビ局からの取材願いの連絡があった。
ユーパスとの6年間の生活と最愛のパートナーを突然失ってしまった心境を取らせて欲しいとのことだった。
ユーパスの盲導犬として生きた証が、社会に理解してもらえるのなら…、私とのたのしかった生活が記録として残るのなら…、という思いで取材をお受けしたのだった。

 2005年の初夏から真夏そして晩秋へと季節は変わっても、記録的な酷暑は以前 厳しかった。猛烈な暑さと、深い悲しみと戦いながらの、取材スタッフと行動は常に一緒だった。
自分の身の回りのことや、気持のコントロールだけでも精一杯の状態だった。
が そのうち 私は、取材スタッフの方たちの情熱を感じ始めていた。   次回へ続く
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by wappagamama | 2007-09-27 12:33

とってもしんしゃくなエルちゃん


夏の装いのフローリングからカーペットに変えた我が家の茶の間。
茶の間? 兼待合室? 兼事務所? 兼会議室? 時には寝室、 なんといっても一番大きなウエートを占めているのは、わたしとエルモの愛の空間!
夏の間数ヶ月間はフローリングにしていたが、さすが最近は、板野感触は身に答えるようになってきた。
茣蓙座布団もしまい、ついでにテーブルクロスも新しいのに変え、エルちゃんのお部屋もすっかり掃除をし、部屋の中は秋のモードへ一変した。
ん? あっ まだ一箇所残っている、「のれん」3箇所ののれんがまだ夏のなごりのまんまだ。
これは明日にしよう?

仕事の合間にゴロンと寝転んで、手足を思いっきり伸ばして「あーっ 落枕 落枕」
こんなかっこうするといつもならスグにエルモが ピタッと横にやってくるのに、
「あれ? どうしたのかな?」と思ったら、カーペットのギリギリのところで布施をしてこっちを見ている。
「どうしたの?エルモ?」というと、今度は部屋の隅っこのカーペットの敷いていないところを、行ったり来たりうろうろしている。
「ははーん? カーペットは君にとって布団とみなしているんだ?」
そうなんです、エルモってこうゆう子なんです。とっても遠慮深いでしょ?
そうなんです エルモはとってもしんしゃくな子です。
わたしから「いいよ」って言われないうちは勝手なことはしてはいけないと思っているようです。

こんなこともあります。
夜わたしがパソコンにむかっているとき、エルモはこっそりわたしの布団に忍び寄ってきます。
ほんとにそのときは足音も立てず、声も出さず煮こっそりという感じです。
わたしは しらん顔してパソコンにむかって作業しています。
そのうち エルモはスースー寝息を立てて気持よさそうに寝ています。
その後わたしは作業を終え、パソコンを終了モードにはいります。
音声対応のパソコンなので、終了モードに入ると、一連の終了オープションの音声ガイドがあります。
その「終了オープション」という音声が出ると、エルモはまたこっそり 自分のベッドに戻っていきます。
インターネットを終了すると「ポンポコポン」と決まった太鼓を叩くような音がします。その音に反応して目覚めるようです。

 我が治療院のご常連患者さんの中には、エルモのことをよく観察してくれています。わたしがパソコンにむかうと、エルモはとても悲しそうな顔をするそうです。
仕事が終わって治療室から戻ると、エルモはひたすらわたしのことを見ているそうです。
患者さんと遊んでいても、わたしが台所に行くと、もう そっぽをむいてわたしを追いかけているそうです。
患者さんとの会話も、エルモの話題になると、目をぱちくりし、耳をピクピクしながら、お互いの口元を見ているそうです。
仕事中は、どんなに親しい患者さんであっても、エルモは治療室には入ってきません。ん?ちょとちがうかな? 最近、半身だけ入ってるようですね?
以前は布施をして肘から少しだけ入っていたけど、最近、前足と頭胴体が入っているようです、かろうじて後ろ足だけが入っていないのが、彼にとってせめてものけじめのようです。
患者さんが「いいよ おいで エルちゃん入ってきてもいいよ」って言っても。エルモは入ってきません。

 患者さんいわく、「エルちゃんってほんとに斟酌ナ子だねー、ほんとにひんのよい子だねー」と褒めてくれます。
今日もまた おもいっきり、親ばかをやってしまいましたー!
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by wappagamama | 2007-09-26 02:57

多美ちゃん


今日お昼前多美ちゃんから電話があった。
多美ちゃんとは、いっこ年上で同窓生の幼馴染である。
いっこ年上というところが味噌で、永遠の課題である。
子供の頃は彼女のことを、すごくおねえちゃんっポク感じて頼りにしていた。
その思いはいまだに変わらず、彼女もいつもわたしのことを気に掛けてくれていた。
そしてそのわたしも、無意識のうちに、年子の姉のような感覚でいたような気がする。早生まれと遅生まれの違いこそあれ実際は数ヶ月しか違わない。
  彼女は健康管理の目的で、長年にわたってウォーキングをしている。
何種類かのコースのひとつに、我が家の前を通るコースがある。

わたしが函館で5年半学び、免許を取得し、開業を始めた頃、彼女は我が家へよくやって来てくれた。
ウォーキングのついでだからと、週に3・4回は立ち寄ってくれた廊下。
その都度、各種手作りお惣菜持参し、わたしがおいしそうに食べる様子を確認したあとで、今度は後片付けや掃除までしてくれた。
時には一緒にユーパスとウォーキングもした。
このようにプライベートのみならず、湯沢視障協の行事にもボランティアとして協力もしていただいていた。

その後 彼女にめでたく、お孫さんができ、彼女の生活リヅムが大きく変わった。
時折電話で安否の確認をし合っていたが、直接会えなくなっていても、電話での彼女のことばはいつも優しかった。
ある日の電話での会話で、忘れられないことばがある。
「中々逢えなくなってしまったけど、妙子ちゃんのことはいつでも気にかけているからね、何かあったらいつでも飛んでいくから、真夜中でもかまわないから必ず連絡頂戴ね」
彼女はわたしにとって、やっぱりいまだにおねえちゃんです。
わたしは誰かにこんなに温かいことばをかけられうだろうか?このひとことでわたしは、大きな安心感を得たのでした。

 先日、サンマ寿司を造った日、彼女が良く造ってきてくれたお得意料理だったので、造り方の確認の意味で電話をした。
彼女もここしばらく作っていないのでといいながら、思い出し教えてくれた。話をしながら、お互いの作り方に若干の違いがあったことも思い出した。
それは、最初に塩振りをするか否かの違いである。
彼女の場合は直接酢漬けをする。
彼女の説によれば、其のほうがさんまが柔らかく仕上がるともこと。
そうだった、思い出した、わたしは少し身が締まって歯応えのあるほうが好きだった。それで酢に漬ける前に、少しの塩を振っておいたのだった。
今朝彼女が電話をくれたのは、彼女もさんま寿司 そういえばこれもサンマの酢ずくめといっていたっけ。 を作ったからと持ってきてくれたのだった。
わたしのさんまの酢ずくめを作った話で、触発されたと大笑いしながら、「まづ食べ比べて見て?」と自転車で汗だくに成って持って来てくれた。
わさび醤油が合うよと彼女のお薦め通り
フウーン! これこれ なつかしいな~ 
そうそう これが多美ちゃんの味だ!
わたしの作品は丁度完食してしまった後だったので、彼女に試食して貰うことは出来なかった。
一足違いでくちっぱしの短い人と長い人に分かれてしまいました。 
今夜もまた ビールがおいしそう! チャン チャン
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by wappagamama | 2007-09-24 16:01

一枚の CD


先日 わたしの手元へ 一枚のCDが届いた。
それは 小樽の有人からのプレゼントだった。
このCDがわたしの手元へ届くまでの経緯。
そして このCDに吹き込みをした人とわたしの関係。
最後に、このCDをはじめて聞いたときのわたしの思い。などなどお話したいことが一
杯あるので、何から話したらよいかわからない。

先ずは CDをプレゼントしてくれた、小樽の友人をご紹介します。
勿論このCDに吹込みをした本人です。
この方は、指笛奏者で、北海道全域にわたって、チャリティーコンサートを行なっている方です。
盲導犬ユーザーで、現在ナナちゃんという可愛いパートナーと一緒です。

 わたしとその友人 Y・Oさんとの出会いは、TBSTV動物奇想天外」の取材中のことでした。
ユーパスとの出会いを取材したそのテレビには、新米ユーザーのわたしと、盲導犬4代目という大ベテランゆーざーYOさんとの小樽運河での出逢いがありました。
指笛を聞いたのはその時が始めて。端の欄干にもたれて、耳元で聞いたその指笛に鳥肌が立ったのを覚えています。
そしてそのときのわたしのDVのバックミュージックには、彼の演奏する「アニーローリー」が流れていました。

 初めての盲導犬共同訓練中にもかかわらず、小樽観光ができたのは、テレビ局と矢内さんたちのお陰でした。
そのころからではなかったろうか?矢内さんとのお付き合いが深まっていったのは…。矢内さんはユーパスのパピーさんでもありマンドリン演奏のグループのリーダーでも会ったため、指笛のY・Oさんともコンサート活動も常に一緒だったと聞いている。

 ユーパスとの出会いがテレビ放映され、取材中の思い出が満載された、その DV をユーパス亡き後、一度も再生出来ずにいた。

先日届いたそのCDには、その思い出の「アニーローリー」が入っていた。
ユーパスのこと、そして 昨年亡くなった、矢内さんのことが蘇り、とめどもなく涙が溢れてくる。
そのDVには、Y・Oさんと愛犬「ベラ」が寄り添って、小樽の高原で澄み切った指笛が演奏されている場面だと聞いていた。

 その後、愛犬「ベラ」が急死したとの彼からの号泣した電話を受けた。
現在の「ナナちゃんとのスタートを始めてから、研修会で一回ほど出合ったろうか
。その後数年研修会ではであうことがなかったので心配していたら、体調が思わしくないとの噂を聞いた。
電話をしたが、いつものあの明るさはどこへやら…。
それ以来ズーッと気に成っていた。その彼から突然電話があったのはひと月前頃だったろうか「今度小樽へ来るんだって?その時の祝賀会でオレ指笛演奏するんだ。逢えるのを楽しみにしているね」とその声は以前の彼の明るい声だった。

日本視覚障害者卓球連盟結成10周年記念
「第4回全国視覚障害者卓球大会小樽大会」が9月15・16日に行なわれた。
この大会にわたしも秋田県の選手として エントリーしていたのだった。

夏の暑さに負けじと頑張っていたのだったが、日中の仕事が終わる頃には、疲労困憊してしまい、夜のSTT練習どころではなくなってしまっていた。
ましてや 土日の秋田までの強化練習にも参加できない状態が続き、技術的にも体力的にも自信を失っていた。
大会会長の H先生には大変ご迷惑をおかけしてしまったが、今回は涙を飲んだ。

  小樽出発前夜、Y・Oさんから電話があった。
「選手団の名簿を見たけど、あんたの名前が出ていなかった世」とのこと。
「やばい! 連絡するの忘れてた ごめーん」
「なんだよ あんたが来ると思ったから トラック一杯お土産用意していたのにさ」と独特の彼流の おおボラギャグ!でたよー
そんなおおぼらぎゃぐが復活した彼の声を聞いていてホッと胸をなでおろしながら、私自身勇気付けられていました。
という訳で、トラック一杯のお土産が一枚のCDに化けてしまったのです。
そのCDは彼の手から、湯沢からの選手の手に渡されて、翌日私の元へ届いたというわけです。

その一枚のCDに対する色んな思い…。
あまりにも深い思いが先行してしまって、まとまりのない記事に成ってしまいました。ごめんなさい
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by wappagamama | 2007-09-23 00:24

さんまのなめろう


昨日は ビガビガのさんまが5尾も手に入った。
丸々太って見るからに美味しそう!
さぁーっ 新鮮なうちにどう調理しよう?

まずいっぴきはシンプルに塩焼きにして食べなきゃ!勿論大根おろしも添えて…。
他の4ひきは3枚下ろしにした。
5丁ある我が家の包丁が、どれもが切れ味が今一である。
そういえば、毎年お盆前には、包丁研ぎの父さんが来てくれていたので、我が家の包丁はいつも切れ味が良かった。
今年のお盆には包丁を研いでなかったことに気付いた。
時折 「鍋釜の修理・こうもりがさの修繕など にゃがったんしぎゃ」と声をかけてくれていたのだが、そういえば 最近見えないなー?
あのとうさんどうしているかなー?
玄関に腰を下ろして、なにやら袋の中からゴソゴソ取り出しながら、丁寧なことばで新聞紙に包んだものをわたしに差し出してくれる。
そして わたしの手のひらの中で、その新聞紙をおもむろに広げながらこうゆう「わたしがこしゃいだトマトだんす、あがぐなるまで太陽2だって羅ナダンスがら、すごーぐ甘くておいしんしど、まんじたべでみでたんしぇ」と非常に不揃いなトマトが3こ。
包丁研ぐ姿勢・言葉使い、手作りの ささやかながら、手渡しのプレゼント。しかも今時新聞紙にきちんと包んだものなどめったにいただくことがない。
このような人間国宝的というか、無形文化財的というか、古き良き時代にタイムスリップさせてくれるような人は、もう めったにであうことはないんでしょうね。

包丁の話からまた話題が脱線してしまいました。
3枚下ろしにした、4ひきのさんまの話に戻ります。
グズグズしていたら、さんまの鮮度が下がるので、一気にまいります。
この4ひきのさんまをどうするかといえば、なめろうと寿司を造りたいのです。
2 対 2にしようか、それとも 1 対 3にしようかチョット迷いました。
いっぴきは塩焼きがあるので、なめろうはいっぴきにしましょう。
3枚に下ろしたさんまの腹骨をとって、包丁で叩き、にんにく・みょうが・庭でつんできたしその葉をみじん切りにし、叩いたサンマと合わせて軽く醤油で味付け。
これで「さんまのなめろう」一丁の出来上がり。

 続いてさんま寿司。
同じく3枚に下ろした3びきのさんまを、極軽く塩を振って、1時間ほど冷蔵庫に寝かす。この間になめろうの作業が出来る。
冷蔵庫から取り出したら1回酢で洗って、塩分の調整をする。
腹骨と小骨を取って一口大に切り、酢・酒・みりんそれに、生姜の千切りのあわせ酢に漬けて置くだけ。これでさんま寿司の出来上がり!
さんま寿司は2・3日で食べられるようになる。

なめろう は、炊き立ての熱々ご飯に載せて食べようと、仕上がりの時間に 合わせて、炊飯器にスイッチを入れたのだったが…。
これほどのご馳走を目の前にしたら、やはり!
そりゃーそうだよね! キューッと 一杯やらなきゃーね!

ナに言ってんだか? 明日香のママが亡くなってからこっち 毎日のように飲んでるくせに…。
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by wappagamama | 2007-09-20 00:23

真夜中の訪問者


 タイトルがチョット意味深なので、期待させちゃいましたが、こんな田舎のふる-いたてものへの、真夜中の訪問者といえば、せいぜい ゲジゲジかゴキブリくらいなものでした。
サッパリ色気のないお話でごめんなさい

 ところが、どうしてどうしてまだまだすてたもんじゃーありません。
気が付いたのは一ヶ月ほど前でした。
気が付いたその時から、一日も休むことなく、真夜中に訪問してくれている人がいました。
それに気付いてからはわたしも気になって、ついついチェックしてしまいます。
そうです。それはマイブログ「コスモス」への訪問者なのです。

 わたしは結構宵っぱりなので、日が変わる時間帯にもパソコンで遊んでいることがあります。
日が変わって1・2時間しかたっていないのに、もう 数人の人が訪問してくれています。

 パソコンを使用している時間帯について、何かの統計で、お昼前が一番少なく、真夜中が一番多いと聞いたことがあります。
それにつけても、おどろくのはただの一日も欠けたことがないということです。

 ブログの世界のことなので、詮索するつもりはありませんが…?。
でもやっぱり気になりますね。
どんな人が見てくれているのだろう?
わたしの周りを見回しても、夜型の人はほとんどいないし…。
それにつけても、見てくれている人がいると思うと、大変励みになります。
未熟なブログではありますが、今後とも応援してくださいね。
そして、もしよろしかったら、コメントなどいただけたら、とてもしあわせにおもいます。
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by wappagamama | 2007-09-16 20:52

ネイチャーフィーリング



          《自然と戯れて》

 その日は 仙北・大仙・横手・湯沢各支会からの会員さん、20名そして、一般参
加者・自然観察指導員の方々、総勢60名が、湯沢視市民の森へ集った。
9月に入っても、連日の猛暑続。その日も恵まれすぎるくらいの晴天。
恒例の初参加者もいたため、熱中症の心配がチラリと頭をよぎる。
リュックにそっとアイスノンを忍ばせてさーっ 出発!
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 指導員のs,sさんはわたしの同級生。湯沢の山々のことに関しては博士と言われて
いる。いや 仙人といったほうがピッタシだ。
事前に視察に来て足元の下刈りも済ませてくれていた。
最初に手にしたのはタンポポに良く似た「サラダドポーク」豚が食べるサラダとの説
明。そのフランス語の発音が見事な指導員の


fさん。
続いて、手渡してくれたのが「獅子頭」シダの形をしている。手にしたものは、何で
もかんでも取り合えずにおいをかぐのが、わたしりゅうのやり方。
切り口が明らかに「ゼンマイ」のにおい。そんな様子にすかさず「我々とは違う鋭い
感覚 さすが!」とt支部長の弾んだ声。なんだか褒められたような気分。
続いて、釣鐘草のような紫の花が可愛い「山帰来」(さんきらい)。
むかーし 性病になった人を山に追いやったが、何年かすると元気に山からもどって
来た。しかも100歳までも長生きしたとの伝説の薬草。
自然の不思議・自然のエネルギー・自然の豊かさ、自然の恩恵。
s,sさんが癌から奇跡的な帰還を果たしたのも、納得がいくような気がする。
こよなく自然を愛している、彼が受けた、自然からの恩恵と思うのはわたしだけでし
ょうか。
現代社会と 相反する仕組みに感慨無量の感。

一日自然と戯れて、 参加者全員心身ともにリフレッシュ!
たまご茸(たまごだけ)の和え物の触感、ゆで卵の白身ソックリ。でもその名前は形か
らきているとのこと。
山から降りてきたところには、豊富に湧き出る清水、この辺のことばでは「すじ」と
いう。
冷たいすじでエルモと一緒に、乾いた喉を潤した。
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その日の夕げには、採り立ての「もたし」の味噌汁が心地よい疲れを癒してくれた。
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by wappagamama | 2007-09-15 16:28