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朝晩メッキリ涼しくなりましたね


 朝目覚め、エルモのオシッコの際、着替えをしなければ外に出て行けなくなった。

 夏の間は、短パンにtシャツという簡単便利な格好で、あわよくば一日24時間過ごせたが、この頃はそうはいかない。
まず 寝るときは長袖のパジャマに変わったし、ピンクの花柄のパジャマはさすが私でも外には出られない。
ジーパン・長袖シャツ・それの上に薄物を羽織り・靴下とシッカリ着替えをしなければいけない。

 さぁーてぇ? そうなると、夏物から秋ものの衣類の入れ替え整理をしなければ……。
毎年のごとく、季節の変わり目になると「あれどこへしまったっけ?」「今頃何を着ていたんだっけ?」ということになる。
だが今年はいつもとチョットちがう。
我が家の部屋数がふえたことは、以前ブログに書いたことがある。
我が家とは壁と押入れで仕切ってあるだけの、西側にもう人書体暮らしていた、その間取り一式が、ひょんなことから私の自由にできるエリアとなったのである。
床や壁などを取替え、リニューアルしたそのエリアを少しずつではあるが使いやすいように手を加えていた。
押入れの数も、ゆったりとした2軒分のスペースが増えた。東側の押入れには、湿気防止のすのこを3方に敷き詰め、収納スペースができた。
南側の押入れは湿気の心配はない。下段の左右に2個ずつ両方に衣装ケースがスッポリ4個収まっている。
一昨年、娘と息子と二人で物置と化していた2階の整理をしたときに出てきたのが、その衣装ケースである。
何年も袖を通していないものは全て廃棄処分した。
それはもちろん、私だけのものではなく、息子娘たちのものも大半だった。
以来、我が家の2回は下宿でも置けるくらい(?)がらんとしている。


 えぇ~っと  その衣装ケースには、洗濯した着替え始め、季節ごとに仕分けして収納しつつある状態となっている。




「収納してある」ときっぱり言い切れないのには訳がある。
お盆に帰省した際、娘がある程度チェックしたらしい…。。
一昨年、東京へ来たときに買った服、あまり袖を通していないんだね」と言っていたっけ。…
そう 思えばあの東京での買い物は娘の体調が最悪状態で、私が経絡治療をするため、長期滞在していたときのことだった。
話が脱線しているけど続けます。
娘は、体調が悪くて仕事も長期休暇をとっていたときのこと。
娘はいつも私の身の回りのものを買い揃えてくれるという、それがあたかも恒例のようになっていた。
その体調の悪いときでさえも、相変わらず娘は私の身の回りのものの買い物に時間を費やしてくれていた。
いつもだったらそれは楽しい時間だったはずなのに、その年のそれは、最悪だった。
娘は体がきつかったはずなのに、何種類もの服を選んでくれた。
娘の体を少しでも楽にして上げられたらと重い、私も夢中で過ごした四十数日間だった。
でも異常な暑苦しさと、自分の家ではない不自由さとそれにもろもろ言うに言われない切ない気持ちが重なり、私自身の体調も危うしとなっていた。
今思い返しただけでも、娘にかわいそうなことをしてしまったとチョッピリ心が痛い。
そんな状態のときの買い物だった成果、そのときに買ったものの洋服の色柄がよく覚えていない。
「私のものはもういいから早くうちへ帰ろうよ」どっちもどっち疲れているので買ってくれたものの色柄イメージが飛んでいる。
娘があの体調不良のときにでも、私の洋服を選んでくれているけなげな姿がなぜか今も心が痛む。

 という訳で… 何がという訳なの?…
4個並んだ収納スペースには徐々に季節ごと衣類が整理されつつあるというお話でしたね。
その4個の衣装ケースのうち、3個が私のもので、一個だけ息子のスペースです。
その押入れの上段にはカラーボックスと、息子の季節はずれの衣類が届かないほどの高さにたたんで積んであります。

それまでは、北側の治療室に、木製と桐ダンス2個に収納していたけど、そこは恐ろしく漆器が強く、たんすの中身はいつもかび臭くなっていたので、着る前には洗濯してから出なければ着られなかったという、不便さと、たんすの開閉は両手でなければいけないということなど、色々不便だった。
今はもう、衣装ケースの軽い開閉と、なにわともあれしけないということがうれしい。
いつものごとく、話が脱線しまくり、取り留めのないことになってしまいました。
新しい収納スペースのお陰さまで、秋ものの衣類がいつもの年寄楽に手に取り、コーディネートすることができるようになりました。トサ?… トッピンカラリノプー
by wappagamama | 2013-09-11 15:17
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