●震災前はあらゆる建物から「音」
国立特別支援教育総合研究所の総括研究員、田中良広さん(視覚障害専門)は、物体がどこにあるかを「聴覚」によって知覚することでも一定のイメージができるという。
「建物があればその建物の向こう側からくる音が遮断される。建物のないところは、向こう側の音が聞こえてくる。そうすると、いつもと違う雰囲気を感じることができ、その建物がなくなったことがわかります」
目が不自由な人ならではの、「音」への感覚……。
自宅が津波で破壊された釜石市の中村亮さん(57)は言う。
「地震の前は、街を歩くと音響信号機の音が聞こえ、レコード店からは音楽が聞こえました。どんな建物からも何らかの音が出ていた。それで、いまこの辺りだというのがわかりました」
20歳の時に網膜剥離のために失明した。鍼灸師の資格をとり、30年ほど前に、故郷の釜石に鍼灸院を開設した。
地震は、診察を終えて一息ついている時に襲ってきた。やがて、大津波警報のサイレン。近所の人に導かれ、弱視の妹(55)と急ぎ足で逃げた。背後から津波が迫ってくる音が聞こえた。高台から「早く走れー」と叫ぶ声が聞こえた。同じように逃げる何人かの足音も聞いた。
震災後はずっと市内の避難所にいるので、街の様子はわからない。地面は以前とは凹凸も激変し、歩くのもままならないだろう。それでも2回、車に乗って町内を移動した時に、明らかに以前と違うことを感じた。
あれほどにぎやかに聞こえていた「音」が消えていた。
「まったく音がしない街になっていました」
いま思えば、瓦礫除去の音があったはずなのに、なぜかそれは、聞こえなかったという。