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大震災で視覚障害者 基本的な情報もなく…

東日本大震災 視覚障害の被災者 基礎的な情報もなく

 東日本大震災は、視覚に障害を持つ人も容赦なく襲った。健常者に比べ全盲や弱視の人は生活情報を得にくく、津波を逃れた後もより困難な生活を強いられる場合が多い。震災対応に追われる自治体は、どの避難所にどれだけの視覚障害者がいるのかといった基礎的な情報すら集められていない。宮城県東松島市の避難所で全盲の男性に会った。
 市立鳴瀬第一中学校にいる金子たかしさん(65)は、30代後半に緑内障を発症し7年前に失明。勤めていたデパートも退職を余儀なくされた。
 地震発生時は、1人で暮らす沿岸部の自宅にいた。揺れが収まり、外に出ようと白いつえを手にした瞬間、「ゴゴゴゴ」という聞きなれない音を聞いた。「道路工事か」と思ったが、急に室内に水が流れ込み「津波だ」と気づいた。その途端、巻き込まれ、油臭い激流の中でもがいているうちに意識を失った。気が付くと、ずぶぬれのままつえだけを握りしめていた。寒さに震えながら「助けてください」と叫び続け、翌朝、自衛隊員に救出された。病院で検査すると胸の骨が4本折れていた。
 コルセットをしての避難所生活。なれない場所だけに、つえだけで移動するのは難しい。トイレに行くのにも周囲の助けが必要だ。顔見知りの女性が肩を貸してくれるが「個室まで案内してもらうのはちょっと遠慮してしまう」。食事も茶わんや皿の位置を教えてもらわないと食べられない。
 最も困っているのは「情報不足」という。支援物資や罹災(りさい)証明の申請手続きに関する連絡が張り出されても、金子さんには伝わらない。自宅では音声パソコンで情報が得られたが、今はラジオだけが頼みの綱だ。
 地震後は一度も風呂に入っていない。自衛隊などの入浴サービスがあったとしても、介護ヘルパーなしでの入浴は難しい。金子さんは「みんな親切にしてくれるが、好意に甘え続けるわけにはいかない。行政にヘルパーを派遣してもらえると助かる」と訴える。
 先のことも不安だ。仮設住宅の計画が進むが、「右も左も分からない家では、1人で生きていけない。避難所を出ろと言われたら、どうすればいいのか」とため息をついた。
 被害が大きかった岩手、宮城、福島3県で身体障害者手帳を持つ視覚障害者は約1万6500人。このうち被災者や避難所で生活する人がどのぐらいいるか3県とも正確な数をまだつかんでいない。
 宮城県視覚障害者福祉協会(022・257・2022)は「電気が通じない自宅にとり残され、食べるのにも困っている障害者もいるはず。行政は早期に実態把握を行うべきだ」と指摘。被災した視覚障害者の情報提供を呼び掛けている。
by wappagamama | 2011-03-28 20:50
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