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阪神淡路大震災を経験した 視覚障害者からのメッセージ

◆ まずは、16年前の阪神淡路大震災を経験した神戸在住の私の友人、ニックネーム「アデリーペンギン」さんからの経験談&被災者の皆さんへの応援メッセージをご紹介します。


「今、思うこと」

  三月十一日の午後、神戸でもトンッと軽く突き上げられるような小さな揺れを感じました。
 ラジオをつけ、東北地方で大きな地震があったことを知り、慌ててテレビをつければ、いきなりは信じがたい災害が次々に報じられ、
思わず十六年前の阪神大震災の記憶が蘇りました。
 当時、私の住む地域では火災こそは起こりませんでしたが、地割れのためにあちこちでガスや水道の配管が破断し、
また最寄りの交通機関であるJRの架橋が一部崩落していたので、復旧までの数ヶ月の生活は大変でした。
 近くの小学校に設けられた避難所に行くこともできたのですが、夫婦ともに弱視の私達は、普段は自立して生活していますが、
避難所に行けば… 無条件に配られる食料や何らかの有益な情報も手に入れられるかも知れないとは思いましたが、
それ以上に自分達は足手まといにこそなれ、皆さんのお手伝いはできないだろうと考え、ならば自分のことは自分達でなんとかしようと思いました。
 幸いなことに周囲では全壊、半壊してしまった建物もあったのですが、住んでいた集合住宅は無事でしたのでなんとか親子三人、
工夫して生活していました。
 電気だけは、早くに復旧しましたがガスや水道が使えないのには苦労しました。
 飲料水は買い置きがありましたがトイレや洗濯に使える生活水には、たちまち困ってしまいました。 そんな時に避難所に来ない私達のことを気にして、当時小学四年生だった息子の、担任の先生が訪ねて来られました。 我が家の事情をお話すると、こちらの気持ちを察してくださりこれからは何か有益な情報があれば、知らせてくれるとおっしゃってくださいました。
それから数日後、また先生が訪ねて来られました。
 「ちょっと思いついたので…」と笑う先生の手には大きなゴミ袋がふたつ。 「どうぞ」と差しだされた袋の中身は水でした。 五重に重ねられた新しいゴミ袋の中に水を入れ、ぎゅっと閉じ
更に何重にもガムテープを巻いて、水が漏れないようにしてありました。
「やっと給水車が来たんですが、知らせているうちに水がなくなりそうだったんで…」
ずっしりと重い水を、団地の三階にある我が家まで運んでくださった先生は、笑顔のまま息子の頭を撫で、優しく声をかけてくださいました。 「また学校いこな」「うん!」。
その後、隣の校区の中学校の校舎を借り、午前は中学校、午後に小学校と分けての授業再開は、更に数週間後のことになりました。
 当時、同じ視力障害を持つ知人の中には、被災した時に白杖や弱視鏡、眼鏡を紛失してしまったり、壊してしまい、途方に暮れていた者がいました。 おそらく今回の震災でも、大切な白杖や眼鏡、点字器、デイジー機器、音声対応の携帯電話やパソコン。 それに、いつも優しく手をさしのべてくれた友人や家族を失った方々も大勢いらっしゃることでしょう。 掛けがえのないご家族の代わりにはなれませんがきっと私達は、新しい友人にはなれるはずです。 それに十六年前にはなかったけれど今や、視力障害者にとって『第二の目』となった各種のデジタル機器や、自立歩行に欠かせない白杖や盲導犬を、彼らの手元に届けられないでしょうか。
 まだ震災から日の浅い今は、それよりも温かい食べ物や毛布のほうが大切ですがやがて被災地もまた復興する時に、彼らが自ら情報を獲得し、自ら歩けるように同じハンディキャッフを持つ者として、彼らの代わりに、本当に彼らにとって必要なものを考え、それらを準備することはできないでしょうか。
 そして今、遠く被災地で心細い思いをされている皆さんへ…
十六年前の私も心細く不安な思いをしていました。 まるで誰からも見放されたような寂しさを感じられておられるのではないでしょうか。 でも、みんな心配しています。決して忘れてなんかいません。 互いの声が届くように、さしのべた手が届くようにともに祈り、考え、一緒に頑張りますからね。
by wappagamama | 2011-03-23 12:22
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