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暑かった角館その3


 引率してくれている弱視の人たちから見れば、勝手にウロチョロ動き回られる方が非常に困るとよくぼやいているのを耳にすることがある。

 大勢で行動するときは、なんてったって弱視の人が頼りとなる。
一人で数人の全盲さんの 見とどりをしなければいけないので、それはそれは大変。
 ちゃんとみんなが所定の場所に固まってくれていれば楽なのに?…
チョコチョコ一人で動き回る人が必ず出てくる。

それも、ここはある程度分かっているのでお手洗いくらいは一人で行けると思って単独行動をすることもあるが、途中で迷ってしまうというときもある。
全盲の人にしてみれば、できるところだけでも自分でやりたいという観測的希望を捨てきれない部分があるので、それもそれでその自由さえも奪われることもつらいものがある。 というか、達成感というか、自立心というかはかないながら捨てきれない希望が残存しているのである。


そうすると、弱視の人があっちこっち探し回らなければいけないことになる。
必然的に大声を出しながら探し回っている。
もう イベントの終板ころになると弱視の人たちの声はかすれてスカスカ!
まるで 幼稚園の集団のように… 大変だろうなぁ と冷静に高みをしているときはいいが、いつそれが渦中の人とならないとも限らない。

そんな雰囲気を見るに付け聞くに付け、せめて自分はあまり人の手を煩わせないようにとこころがけてはいるが、最近の体力衰弱により何かと人に頼っている自分に嫌気が差している。
みんなが助けてくれるから大丈夫、という甘えが定着してきた自分を少し変えなければと、今 軌道修正に取り組みだしている。

  それが、 今回の角館での試みだった。
視覚障害者はイベント会場などで独りぼっちになることが何よりの不安。
だから必ずといっていいほど誰かのそばにいて話していなければ落ち着かない。
周りの様子が見えていないのだから独りになると孤独感に陥りやすい。
わたしもご多分に漏れずそんなタイプだった。
同じ障害者導子だったら、そんな心境が痛いほど分かるので必然的に気の会った同士が固まりあうようだ。

それはどこの世界でも同じことが言えると思うが、いつの間にか気づかないうちにそんな修正の波に自分もドップリ乗っている。
いつの間にかそこが一番居心地のいいところとなっている。


 角館での出来事はそんな意味でのわたしの ささやかな挑戦である。
目には見えない何かから少しずつ脱皮しようともがいている。
それにしても、あのもんもんとにぎやかな体育館の中で、隣に座っていたヒトデさえわたしが誰に何を言っているのかわからないほどの普通の声で言ったことばが、エルモには聞こえていたのかもしれないと思ったのはわたしの単なる思い込みなのだろうか…。
それとも、わたしから目を離さないで見ていたというボランティアさんの言葉からして、エルモはわたしの口元を見て指令を判断したのだろうか…。

それにつけても、 午前午後と丸一日、エルモはおとなしくして待っていた。
ピーピー泣くこともなく。
ドタバタはしごを引っ張る様子もなく。
それはまるで、わたしが決心したことが伝わったかのように…。
エルモはわたしの決心を受け止めてくれたんだと二人だけのひそかな感動をかみ締めた。
by wappagamama | 2010-06-15 13:28
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