IE9ピン留め

言葉変換『もんじろう』用アイコン 怪我の功名  

2012年 01月 28日


 昨年末たまたま偶然に部屋数が増えたお陰で、私の寝室が代わった。

 古い新居の8畳まで寝起きをするようになってから、これまたたまたま偶然の怪我の功名というか、知らず知らずのうちに体調が変わった。

 以前は寝室も寝具もホカホカフカフカ「アァー あったかぁー意 寝ることより楽はなかりけり…」といいながら眠りについていた。

 コノ冬、寝室が変わったことで、暖房や寝具を事前にあっためておくのを忘れてしまうことが多くなっていた。
日中は暖房が入っていない部屋であること、
部屋が広いので、寝る前だけ部屋を暖めておこうとすれば半端じゃない灯油がかかること、
効率よく、布団乾燥器を使って、寝具だけ暖まったところへもぐりこんで寝ていた。
一晩中ラジオをかけっぱなしで、深夜放送よろしく長い夜も結構退屈しないで過ごしていられる私ではあるが、退屈氏ら図の訳は他にもあるようだ。
早めに床に着いたときでも、深夜になったときでも、布団に入り横になりさえすればすぐに眠りにつくという特技を持っているようだ。
だから、余計な暖房費とエネルギーの無駄使いは苦とも感じずに省くことができている。

 そのうち寝る前に布団乾燥器を掛けるのさえ忘れてしまっていることが多くなった。
冷たい部屋とつめたい布団!
「アジャ? 忘れてた…」
「エエイ! めんどくさい 寝ちゃえ」という感じで身を縮めて布団にもぐりこんでいた。
冷たい!寒い!と思うのはほんのチョットの間だけ…。
たいていの場合いつの間にか寝てしまっている。
そして、布団に入ったときの冷たさを防御しようとする体の仕組みが、自然に活動を起こし、全身がぽかぽかになってくる。
ふわふわの肩掛けが邪魔になり、無意識に脱ぎ捨て、はいたまま寝た靴下は勿論脱ぎ捨て、おまけにパジャマのズボンまで脱ぎ捨てている。
といった 真夜中の私の寝相とやらは色気もしょっけも何もあったもんじゃない。

ときおり、耳に入ってくる深夜放送を聞きながら、なつかしのメロディーに聞き入ったりもしている。
そういえば、寝室を変えた今、それまで起きていた真夜中のトイレに行かなくなった。
その代わり、朝6時前後になると、大小両方切迫した状態で目が覚める。
腸内の宿便さえも勢い欲噴出したかのような、身も心もスッキリした状態で体重計に乗るのが私の早朝の楽しみとなってきている。
決して美しい話ではないが、これは生態の正常な生理状態になっていることを証明している。

過保護は自然治癒力と抵抗力を衰えさせていることに改めて気付いている今日この頃でした。



# by wappagamama | 2012-01-28 14:50 | Trackback | Comments(1)

言葉変換『もんじろう』用アイコン ES細胞で失明状態の患者が視力改善  

2012年 01月 28日

万能細胞で視力改善、米で臨床、再生医療効果、患者で初確認


1.ES細胞で失明状態の患者2人の視力改善 米チームが発表

 人体のあらゆる組織に成長する能力を持つ胚(はい)性幹細胞(ES細胞)を使って、失明状態と認定された患者2人の治療に成功したとの成果を、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校ジュールズ・スタイン眼研究所の研究者らがこのほど発表した。2人とも視力が劇的に改善したという。
 同研究所のスティーブン・シュワーツ博士らが、英医学誌ランセットに報告した。ES細胞を使った治療例が正式に報告されたのは初めてとされる。同博士は「暫定的な結果であり、失明の治療法が見つかったとはいえないが、再生医療における大きな前進だ」と話している。
 2例ともそれぞれ、ES細胞を患者の網膜組織に注入した。術後は拒絶反応を抑える薬を短期間投与した。
 患者の1人、スー・フリーマンさん(78)は昨年7月に手術を受けた。難病の黄斑変性症で視力が極度に低下し、1人では歩行も買い物、料理も不可能だったが、一方の目を治療した結果、すべてできるようになったという。「自分が書いた字を読むこともできるようになった」と、喜びを語る。
 2人目の女性(51)は手術から2~3週間たった朝、目覚めた時に寝室のたんすの細かい彫刻に気付き、視力の改善を実感したという。以前は見えなかったこんろのつまみが見えるようになり、目の前に示された指の数も分かるようになった。
 シュワーツ博士は、フリーマンさんらの視力が再び低下する可能性もあるとする一方、今後全米10カ所で患者12人の治療を試みるとの計画を示した。
 チームが使用したES細胞は、不妊治療で不要となり、捨てられることが決まった受精卵から採取したという。
 ES細胞を使った再生医療では、米バイオ企業ジェロンが2009年、民間企業として初めて食品医薬品局(FDA)から臨床試験の承認を得たものの、11年に財政難を理由に撤退している。

2.障がい児の学習支援、東大とソフトバンク、スマホなど貸与
2012/01/24 日経産業新聞
 東京大学先端科学技術研究センターとソフトバンクグループは、携帯情報端末を活用して障がい児の学習・生活を支援する事例研究プロジェクト「魔法のじゅうたんプロジェクト」を展開する。特別支援学校にスマートフォン(高機能携帯電話=スマホ)やタブレット(多機能携帯端末)を無償で貸し出し、教育現場などで活用した具体的な事例を研究・公開する。 貸出期間は今年4月からの1年間。プロジェクトに協力可能な国内の特別支援学校を、2月3日まで募集する。米アップルの「iPhone(アイフォーン)」や「iPad(アイパッド)」、米グーグルの基本ソフト(OS)「アンドロイド」を搭載したスマホを校内での学習以外にも、自宅における家族とのコミュニケーションにも活用してもらうことを想定している。


万能細胞で視力改善、米で臨床、再生医療効果、患者で初確認

 日本でも13年度スタート
 米バイオベンチャー企業アドバンスト・セル・テクノロジーは万能細胞の一種、胚性幹細胞(ES細胞)を使って網膜の病気を治す臨床試験(治験)で患者の視力が改善したと発表した。万能細胞を使う再生医療で治療効果を確認したのは初めて。日本でも理化学研究所が新型万能細胞(iPS細胞)を治療に応用する臨床研究を2013年度にも始める。ただ細胞の作製技術や安全性の向上など課題も多い。 いずれも高齢者に多い加齢黄斑変性など、網膜の異常で視力が大きく下がる病気が対象。有効な治療法はない。加齢黄斑変性の日本の患者数は約70万人との推計もある。 米社は2人の患者で治験を実施。ES細胞から作った網膜細胞を移植した。4カ月間で、1人はほとんど目が見えない状態から文字を識別できるまでに回復。もう1人の視力も改善したという。
 理研は神戸研究所の高橋政代チームリーダーらがiPS細胞から移植用の網膜細胞を作り、加齢黄斑変性を治療する研究を急ぐ。臨床研究を12年度にも申請、13年度にも始める。再生医療の事業化を目指す新会社「日本網膜研究所」(福岡市)も設立した。日米の規制当局と相談し、治験の承認に必要な安全性試験の方法などを探る。 万能細胞は脊髄損傷の治療などにも応用が期待されるが、損傷後短期間で大量の細胞の移植が必要。網膜治療は少ない細胞で済むほか、体内の臓器より処置が容易。がんなどの異常も見つけやすいため臨床応用が早い。
 ただ、視力は完全には戻らない。理研の臨床研究は視力が極めて低い患者が対象。すでに患者の網膜細胞は多数死んでおり改善できても視力0・1程度だという。視力0・2以上の患者に対象が広がれば、0・7以上への回復を期待できる。
 iPS細胞は患者自身の細胞をもとにしており、拒絶反応を起こしにくい。受精卵を壊して得るES細胞に比べ、倫理的問題も少ない。しかし皮膚細胞などに遺伝子を入れ、受精卵のような状態に「初期化」して作るため、思わぬ異常が起きる懸念もある。
 製薬、医療機器、保険などの企業が結成した再生医療イノベーションフォーラムの戸田雄三会長(富士フイルム常務執行役員)は「(細胞の)品質と費用、量産体制をクリアする産業化技術が重要」と指摘する。iPS細胞の安全性の評価基準も必要だ。基準や規制が不明確では巨費を要する治験に踏み切りにくい。

# by wappagamama | 2012-01-28 12:23 | Trackback | Comments(0)

言葉変換『もんじろう』用アイコン 冷蔵庫・洗濯機・温風ヒーター・掃除機・電話機が一気に…  

2012年 01月 25日


  現在のコノ家に引っ越してきたのは、平成5年の2月。

 ここへ入る1週間前、それまで住んでいた隣接のアパートからの出荷により、6・7所帯と大きな問屋の倉庫が全焼という大火に見舞われた。

 それこそ正真正銘「焼かれ損」という悲惨な状況の下、取り急ぎ寝る場所を確保しなければという切羽詰った状態で見つけたのがコノ家だった。

 「0」カラのスタートは私にとってこのときですでに3回目だった。
話せば長くなるが、最初の「0」からのスタートは、嫁いで1年も立たないうちに、夫が経営していた自動車修理工場から出荷した日は、またたくまに全てを焼きつぶしてしまった。
私のもので残ったのは、お腹の中の息子だけ。
勿論嫁入り道具も修理工場も全て灰となった。
ささやかな保険金と、大きな借金で再建のため骨身を削って走り回っていた夫の苦労を理解してあげることもできなかった自分のおろかさと、あまりにも世間知らずだった幼さを今頃になって後悔して見ても仕方のないこと…。 

 保険金で建てた新築の小さな家はガラントして、焼け残ったいくつかの家具と衣類からは洗っても洗ってもガソリンの焼けた匂いは消えることはなかった。

 そんな中、生まれた息子は私たち夫婦へしあわせをもたらしてくれた。 
30歳を過ぎてから得た息子だった夫の喜びようは半端ではなかった。
中途半端なことの嫌いな職人気質の夫だけに、その分愛情表現がへたくそで、かわいくてかわいくて仕方がないくせに、われものでも触るかのように緊張した笑顔がなぜか今くっきり浮かぶ。
 第二子の 娘が生まれたときにもそれはそれは手放しで喜んだ。
仕事熱心な夫と、二人の子育てをしながらパートに出るという極々普通の家庭の風景だった。

 2回目の「0」からのスタートは、それまでの極々普通の家庭生活に見えていた、生活に終止符を打ったときである。
くしくもそれは、結婚生活20年目のことだった。
当座の身の回りのものだけを持って家を飛び出したのは…。
小さなアパートで一人で暮らし始めたときが、私の再再スタートのときだった。
まもなく二人の子供たちがやってきて、ひとつきひとつきギリギリ精一杯の生活を乗り越えていたときが、」生きている」と感じていたような気がする。

弱視の状態で昼夜にかけて二つの仕事をこなしながらの生活費とローンの返済にもかかわらず、親子3人は肩を寄せ合って生きていた。

必要最小限度コツコツとリサイクルショップなどから生活用品を揃えた矢先の、もらい火による全焼だった。
 平成5年の2月 寒いさなかの出来事だった。

息子の友人たちと私のいとこや兄弟たちの応援のお陰で、火災から1週間目で現在のコノ家に落ち着いた。
この時が3回目の「0」からのスタートだった。

 あれから今年で19年?…。
波乱万丈いろいろあったが、なんといってもここで暮らしていたときが私にとって最高の安泰の場所だった。
大家さんに治療室として改造していただき、コツコツと仕事と生活をエンジョイしながら、いつの間にか家具や電化製品で家の中は満杯になってしまっていた。
手狭になったコノ家に息子が同居するようになってからは特にその狭さが気になっていた。
昨年暮れに居住スペースが2・5倍くらいに広がり、些少なりとも手を書けてやれやれやっとここで落ち着けそうだと一息ついていた。

とホット胸をなでおろしていた矢先…。

ここで暮らし始めてから得た電化製品たち、冷蔵庫・洗濯機・温風ヒーター・電話機・掃除機たちが怪しい!?…。
どの子もどの子も長期にわたって私をサポートしてくれていた、大切なパートナーたち…。
今度買うときはもっと大きいもの?…などと密かに期待していたのに?…
ストライキを起こすならせめてせめて一個ずつにしてもらいたかった… 
こんなに一気にストライキを起こされちゃったひにゃ…
コリャァ ドウシマショ?


 追伸
久々の更新に取り掛かったのに、なんだかとても重い内容になってしまって、取り返しがつかなくなってしまいました。
「電化製品が一気にオシャカになりそうだ」という記事を書き始めたのに… ごめんなさい


# by wappagamama | 2012-01-25 14:43 | Trackback | Comments(0)

言葉変換『もんじろう』用アイコン 盲導犬とスキューバーダイビング  

2011年 12月 25日


浅野さん 盲導犬と絶望乗り越え 人生の素晴らしさ伝える

 盲導犬との体験をモチーフにした絵本を出版し盲導犬への理解を訴えている浅野麻里さん(61)=東京都在住=が4日、守谷市のイオンタウン守谷で啓発イベントを開く。進行性の視覚障害を抱えながらも相棒の盲導犬「フリル」とともに、趣味のスキューバダイビングにも取り組む。盲導犬との出合いを通して絶望を乗り越えたという浅野さんは「どんな境遇でも諦めず、一歩を踏み出せば何でもできる」と人生の素晴らしさを伝える。
 染織家として活躍していた浅野さんが視力の変化を感じ始めたのは十数年前。網膜色素変性症のため、ここ数年、視力は急激に低下した。
 4年前からラブラドルレトリバーのフリル(雌6歳)と暮らしている。大きな喪失感に包まれ「時が止まってしまったような」時期もあったが、人懐っこい性格のフリルと触れ合ううちに前向きな気持ちが生まれた。「今はほんのわずかな光を認識できる程度。少しでも何かが見えるのならやりたいことがたくさんある」
 昨年9月、「セアまり」のペンネームで 「もうどうけん ふりふりとまり」(絵・はまのゆか/幻冬舎エデュケーション)を出版。絵本出版の夢を実現させた。絵本の内容を音声で説明するCDも作った。目が不自由な主人公「まり」が盲導犬「ふりふり」と沖縄へ行き、一緒に海を泳ぐ物語。フリルとさまざまな挑戦をしてきた体験を基に、主人公の「一歩を踏み出す勇気」とそれを支える盲導犬の姿をつづった。
 10年ほど続けている趣味のスキューバダイビングは浅野さんにエネルギーを与えてくれるという。「海に潜ると悩みや不安がクリアになる。こんなに好きなことが見つけられたなんて幸せ」と笑顔を見せる。「フリルとタヒチを訪れイルカと泳ぎたい」などと夢は尽きない。いつか完全に目が見えなくなってしまうという不安はある。「だからこそ、きょうこの日を楽しく生きたい」と前向きに挑戦する喜びを語る。
 浅野さんは捨て犬を保護する活動を通して県内の人たちと交流があり、守谷市でのイベントは7月に続き2回目。
 4日のイベント(午後1時、同3時)では目が不自由になって人生がどう変わったかや盲導犬の役割などについて語るほか、フリルと出合った感動を込めた詩「ふりふりふれば」をシンガーソングライターの渡邊奈央さんが歌にして披露する。

# by wappagamama | 2011-12-25 11:30 | Trackback | Comments(0)

言葉変換『もんじろう』用アイコン oちゃん 障害超え旅行会社オープン  

2011年 12月 24日


 全国47都道府県を単独で旅行した全盲の写真家大平啓朗さん(32)が、障害や年齢を問わず誰もが楽しめる旅行「ユニバーサルツーリズム」の普及を目指し、ツアーの企画や施設紹介などを行うサービス会社「ふらっとほ~む」を起業した。「障害で外出を恐れる人と、サポートの仕方が分からない人の溝を埋めたい」と、自身の経験を生かした情報発信を目指す。17日に事務所を函館市中島町の中島れんばいふれあいセンター内に開設する。
 大平さんは2003年に薬品の誤飲で視力を失った。失明後も、においや音などを頼りに撮影している。障害者を間近で見てもらうことなどを目的に、09年から1年間、1人で全国を回った。
 旅を通じ、「社会は健常者のペースでできている」と痛感。「バリアフリー」をうたう施設は多いが、点字ブロックのある場所が分からない。手すり付きで広々とした多目的トイレも、流す場所や鍵の開け方が分からなければ、視覚障害者には不向きだ。「障害者、健常者双方が欲しい情報を分かり合える橋渡しになれれば」と、会社設立の準備を進めた。
 社名「ふらっとほ~む」には、「ふらっと気軽に入れる」ことや、英語で「平ら」を表す「flat」、外に踏み出す起点となる「プラットホーム」になるようにとの思いを込めた。現在、NPO法人の取得申請中だ。
 社員は、大平さんのほか2人。旅行会社の協力のもとでツアーを企画したり、大平さん自身もガイドを行う。アイマスクを着用した、視覚以外で感じる街歩きなど、誰もが楽しめるユニークな旅行を提案したいという。
 道南の宿泊施設や飲食店などで、段差や手すりの有無や便器の高さ、アレルギー食への対応などを調べ、ホームページで公開も予定。事務所では自身の写真を展示販売するほか、点字作成のサービスや講演なども行う。大平さんは「函館は人気の観光地。来たい人が来られる街になるよう、情報を発信していきたい」と意気込んでいる。問い合わせは19日以降に同社(電)0138・87・0817へ。

# by wappagamama | 2011-12-24 17:32 | Trackback | Comments(0)

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